超節約系セミリタイアの登場
本来的にはそれなりに優雅だったセミリタイア生活の概念も、
超節約系セミリタイアの登場により意味合いは変わってきました。
基本的には色々な生き方が提示されるのは良い事かとは思いますが、
発言内容を鵜呑みにしないで、
その思考回路について疑いを持つことも重要かと思います。
そこで今回は「超節約系セミリタイア」至る過程について、
本当のところはどうなのだろうか?
という点について考えてみたいと思います。
超節約系セミリタイアの思考回路
超節約系セミリタイアという結論に至る思考過程ですが、
私が見たところでは以下のようなパターンが多いかと思います。
① 職場がブラック、仕事がきつい
↓
② 生きていくのにそれ程お金は掛からないと悟る
↓
③ 労働しなくてよいだけの最低限の資金を貯める
↓
④ 最低限の資金を手にセミリタイア生活に入る
これだけ見ると一般的なセミリタイア生活への道とそれ程変わりませんが、
「生きていく為のお金」が極めて低く、
「最低限の資金」も同様に極めて低いのが、
超節約系セミリタイアの特徴となります。
本当はこうでないか?という疑念
ここで、超節約系セミリタイアも一般的なセミリタイアも、
セミリタイア生活に入るハードルが低いだけで同じだよ!
と言うのは本当かどうか疑ってみます。
すると、本当はこうではないか?という仮説を立てることができます。
① 職場がブラック、仕事がきつい
↓
② 生きていくのにそれ程お金は掛からないと悟る
↓
③ 労働しなくてよいだけの資金を得るまで働きたくない!
手持ちの資金は少ないがなんとかこれでセミリタイアできないか?
↓
④ 最低限以下の資金で超節約系セミリタイアへの道を歩む
要するに、本当はもう少し資金を貯めてから、
それなりに余裕のあるセミリタイア生活をしたいのは山々だが、
もう働きたくはない...
手持ちの資金で何とかできないかと考えたら、
当面は何とか何とかなりそうだ...
本当はこのような思考回路でたどり着いたにもかかわらず、
最初から少ない資金でセミリタイアしようと考えていましたよ!
みたいに振る舞っている可能性がないとは言えないということです。
仮にそうだとすると、本当はもっとお金があった方が良いのに、
あたかもこれ以上のお金は必要ありませんよ!
というポジショントーク的な話を延々と展開していることになります。
超節約系セミリタイアに対しての疑念は多いですが、
思考回路という観点から考えてみると、
このような事になるのではないかと考えました。
人の本心はわかりません...
上記は可能性の一つを提示しただけですので、
本当のところは本人しかわかりません。
ある人のブログが本心を語っているのか否か?
文章だけで判断するのは極めて困難かとは思います。
なので、色々と疑って考えることも重要ではないでしょうか?
そもそも、セミリタイアという決断はそれなりに重いものですから、
むやみやたらにお勧めする話ではないはずです。
特に若くしてのセミリタイアというのは、
「幸せなサラリーマン生活」
という可能性を失うことを意味しますので、
過剰に超節約系セミリタイア生活の良さを強調し、
サラリーマン生活のすべてを否定するような言説は、
個人的にはちょっとどうなのかな~とは思いますね。
まあたしかに衝動的に辞めたはいいけど、すべての理論はあとづけだからなあ
返信削除自分の場合も
私も後付けでの理論は結構ありますね。
削除その旨は極力記載するようにはしていますが...
引きこもりに近い自称セミリタイアと
返信削除計画的ないし流れの中で事前に
導かれた自称セミリタイアは、根本的に
別モンなのでと思って観ております。
セミリタイアを自称する人がここまで増えてくると、
削除セミリタイアの定義をきちんとする段階に来たような気もしますね。
自分なんかも
返信削除本当はもっとお金があった方が良いのに、
あたかもこれ以上のお金は必要ありませんよ!
というポジショントーク的な話なんですが、
正直それは世間の多くの人にはあるはずの
子供とか健康とか
もはやお金では手にいれることができない部分を
損なってるがゆえの
ネガティブなポジショントークなんですよね。
子供がいてもっと健康なら
もうちょっと稼いだ方がいいし
子供がいる場合は
そもそもセミリタイアせず
定年まで働いてたよなとは
よく思います。
前提条件が明確な場合のポジショントークであれば、
削除なるほどと納得できる部分は代価と思いますが、
「すべての人にとってこうだ!」
みたいな言い方だと違和感を覚えることが多いですね。