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2024年12月1日日曜日

遅くとも”落ち込みの谷が最も深い50代前半”までにはFIREすべき!

50代前半に落ち込みの谷が最も深い


50代になると仕事に積極的な意義を見出せない...
確かにその通り!と唸る記事を読ませて頂きました。

"『ほんとうの定年後』のなかでも反響の大きいのは、50代の就労観に言及している部分である。〈多くの人が仕事に対する希望に満ち溢れていた20代から、人は徐々に仕事に対して積極的に意義を見出さなくなっていく。そして、落ち込みの谷が最も深いのが50代前半である。
この年齢になるとこれまで価値の源泉であった「高い収入や栄誉」の因子得点もマイナスとなり、自分がなぜいまの仕事をしているのか、その価値を見失ってしまう。定年が迫り、役職定年を迎える頃、これからの職業人生において何を目標にしていけばいいのか迷う経験をする人は少なくない。そうした現実がデータからうかがえるのである。〉(『ほんとうの定年後』より)” (引用元)  退職金も激減、転職しても給料減…50~60代で「仕事の意味がわからなくなる」人が続出"
特に、50代前半に落ち込みの谷が最も深いというのは、
私の感覚ともマッチしますね。

40代半ば以降の仕事は不発


私の場合を振り返りますと、
既に40代半ば以降に私がやっていた仕事は、
基本的に若手でもできるような仕事がほとんどでした。
なので、仕事の意義など既にゼロになっていました。

結果的に私は50歳で仕事を辞めることができて事なきを得ましたが、
50代以降も働いていたらどうなっていたか?

恐らく上司は10歳くらい年下の人がやってきて、
仕事は単純作業的なものの比率がアップ、
役職手当がカットされるなど減給になっていた確率が高いです。

となると、仕事の意義などはマイナスに転じていたでしょう。

セミリタイアとかFIREという概念を私が知らなかったらと思うとぞっとしますね。

転職した場合の懸念


記事では、転職というアクションをとっても、
50代の転職は賃金が減るということを述べています。

ただ、50代の転職など難易度が極めて高く、
賃金云々以前に同じ職種で転職できるのか疑問な点があります。

また、実際に転職できた場合の私の懸念はちょっと別のところにあります。

というのも、比較的私の仕事に近い職種の同年代の人が、
会社の待遇に不満を覚えて転職したケースがありました。

待遇面はアップしたそうですが、
転職先は超激務だったそうです。

私の考えでは、それなりにやりがいのある仕事だっとしても、
50代以降の体力では超激務は勘弁して頂きたいところです。

この辺は転職時の条件で隠される可能性が高く、
これに上司ガチャ的な要素も加わるとなると、
50代の転職など怖くてできたものではないな~と思った記憶があります。

そういった外部要因に振り回されないFIRE生活を、
50代で選択できたのは結果論的にも大ラッキーだったというのを、
記事を読んで改めて感じた次第です。

2019年9月18日水曜日

祝日は出勤日? ~ 就業規則を今一度チェックした方が良い理由 ~

9月は3連休 × 2... 問題は本当に休めるかだ


9月の3連休の第一弾が終了しました。
あと4日働けばまた3連休ということで、
サラリーマンでも比較的余裕のある時期かもしれません。

ただ私的には、夏休みと中間決算の間に挟まれた時期なので、
休日出勤リスクが極めて高かったのであまり良い思い出はありません。

そんなわけで、旅行の計画なんか怖くて入れられませんでしたね。

本当は怖い労働基準法?


私は祝日は休むのが当然と思っていたのですが、
法的には微妙な問題をはらんでいます。

まずは「国民の祝日に関する法律」第3条です。

第3条 「国民の祝日」は、休日とする。
2 「国民の祝日」が日曜日に当たるときは、
その日後においてその日に最も近い「国民の祝日」でない日を休日とする。
3 その前日及び翌日が「国民の祝日」である日
(「国民の祝日」でない日に限る。)は、休日とする。

続いて「労働基準法」第35条です。

第35条(休日)
使用者は、労働者に対して、毎週少くとも1回の休日を与えなければならない。
前項の規定は、4週間を通じ4日以上の休日を与える使用者については適用しない。

このように、労基法上では国民の祝日を休日にすることが強制されていません。
最初に聞いたときはびっくりしましたね。

国民の祝日は就業規則上は会社の休日になっているケースが多数かと思いますが、
法律上休ませなければいけないものではないわけです。
ちょっと怖い話ですね。

そんなわけで、”祝日は普通に出社している”なんて人もいるでしょうし、
そもそも週休2日でない人もまだまだいるわけで、
本当はこの辺からメスを入れないといけないのかもしれません。

まあ、いずれにしましても、日本の会社の有給休暇の取りにくさ、
これにプラスしての休日出勤、これは異常と言える水準です。
本当に休めるような時代は本当に来るのか?
個人的には相当難しいと思いますね。


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2019年9月14日土曜日

山手線で「会社を辞めたい」とぼやくサラリーマンを見て思ったこと

山手線で会社の愚痴を聞く


昨日、山手線に乗っていたところ、
隣のアラサー男女が会社の悪口を延々と話していました。

悪口の内容は主として問題のある上司についてです。
話を聞く限り、その上司の振る舞いは私のかつての上司に似ていなくもありません。
そんなわけで、20分程度、話に聞き入ってしまいました。

彼らの上司はフロア中に響き渡るような声で部下を叱責し、
その叱責内容も「ボーナス1円も払わないぞ!」みたいな、
そもそもお前にそんな権限ないだろ!というような感じだそう。

今日も後輩のA君が血祭りにあげられていてうんざり...
近々、その上司と海外出張に行かねばいけないが、
出張に行きたくないのはもちろん、会社も辞めたい!
などと、あまり電車の中では話さない方が良い内容でした。

セミリタイア者からのアドバイス


彼らは、その問題上司の上役に期待するみたいな話をしていましたが、
それは無理というものです。
私のケースでも、上役が何かしてくれたなんてことはありませんでしたからね。

当時の私は「嵐の過ぎるのを待つ」というスタンスでしたが、
嵐は想定より長く続きました。

従って、事態が改善されないようなら転職活動をするなど、
アクションを早めに取った方が良いのかな?と思います。

私は40歳くらいになってからは、
既にセミリタイアが視野に入っていたこともあり、
転職してすぐ辞めるのも転職先の会社に失礼!
と思って転職活動を躊躇した部分はありますが、
アラサーくらいで少なくとも60歳くらいまで働くつもりなら、
まずは転職活動ではないでしょうかね?

もちろん、転職先での上司が良い人であるとは限りません。
最悪はもっとひどくなることも頭に入れておく必要があります。

そういった上司の巡り会わせがあまりにひどいと思ったら、
「セミリタイア」という上司のない世界がこの世にあることを
ちょっと頭に入れておいても良いかもしれません。


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2019年8月25日日曜日

上司とサボる時間は無駄! ~ 上司がフレンドリーでもやっぱりセミリタイア ~

フレンドリー上司と一緒に仕事をサボる


私が良く行くショッピングセンターには休憩スペースがありますが、
その休憩スペースでちょっと気になる光景を見ました。

飲食禁止のスペースでパンを食べている30代後半と思しきサラリーマン。
しばらくして上司らしき40代後半のサラリーマンが合流、
断片的に漏れ聞こえてくる話を聞くと、
どっかにサボりに行く打ち合わせをしてるようです。

気になったのは両者の関係性で、部下らしき男性はほとんどタメ口。
それを気にする様子もない上司。

ちょっと違和感を感じる風景ではありますが、
示し合わせてサボりに行くぐらいなら仲が良いのでしょう。

サラリーマン時代の自分であれば、この光景は少し羨ましいと思うかもしれません。
確かに、パワハラ系上司に当たりへとへとになるまで働かされるよりは、
フレンドリーで仕事中に一緒にサボる上司の方が良いのは事実。

ただ、セミリタイア生活を経験してしまうと、
これはこれでちょっと問題があるなと思うわけです。

上司とサボる時間 = 時間の無駄


何が問題かを一言で言ってしまえば、
上司とサボるなんて時間の無駄にしか思えないという事です。

フレンドリー系上司であれば一緒にいるのが苦痛という事は無いでしょうが、
時間の過ごし方としてこれは如何なものなんでしょうかね?

後で振り返った時に後悔する可能性が高そうな時間の使い方だな~
なんてことを率直に感じます。

好きな時に好きな事ができるセミリタイア生活をある程度経験してしまうと、
どうしてもこの辺の時間の使い方に敏感になってしまいますね。

仕事がとりあえずしんどくないので何となく働くというのは、
経済的にも肉体的にもそう悪い話ではないとは思いますが、
やっぱりちょっと引っかかりますね。

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2019年8月4日日曜日

セミリタイア生活2年を経過しての感想 ④ セミリタイア的孤独生活について思う事

セミリタイア生活は孤独との闘いなのか?


私は独身セミリタイアラーですので、日常的な会話する相手はいません。
図書館、スポーツクラブ、スーパー等で事務的な会話をするのみですね。

友人・知人との会食をする時にはがっつりと会話をしますが、
平均するとこれは1~2か月に1度程度でしょうかね?

セミリタイア後はこういう生活になることはサラリーマン時代からわかっており、
こういった生活が辛いとか寂しいとかは感じないだろう、
そんな風に思っていました。

ただし、こういった誰とも話をしない環境というのは人生初の経験、
自分がどういう心境になるのか未知数の部分もありました。

それではセミリタイア生活が2年経過して実際はどうか?
結論から言えば、大きな問題はありません。
むしろ人間観のストレスから解放して快適な日々を過ごしていると言えます。

サラリーマン時代は孤独ではなかったのか?


会社員時代は嫌でも上司や同僚と会話をする必要がありますし、
流れでの雑談などもあります。

これで孤独が紛れるという側面は否定はしませんが、
説教、自慢話や聞きたくもない話を聞かされるという負の側面もあります。

自分はこの負の側面のが大きかったということです。

ただし、セミリタイアした人のブログなどを読むと、
負の側面は認めつつも、日常的に人に接することのメリットを再認識し、
再びサラリーマン生活やバイト生活へと向かう人もおられます。

まあ、働いていた環境がそもそも違うというのが一因とは思いますが、
この辺の感じ方は人それぞれなんだな~と思います。

サラリーマン生活で孤独が紛れることはない


実はセミリタイア後でも孤独を感じることはいくらでもあります。
ただし、それはサラリーマン時代も同じことです。

個人的には、サラリーマン時代に交わしていたような儀礼的な会話をいくらしても、
孤独が紛れることなどないのではないか?と考えています。

孤独になるのが嫌なのでサラリーマン生活を継続する...
自分にはない選択肢でしたね。


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2019年6月23日日曜日

企業理念と現実のギャップに苦しむ

企業理念に共感して働くバイトはいるのか?


先日株主総会に出席したゼンショーの企業理念は
「世界から飢餓と貧困を撲滅する」
というものです。

これ自体は素晴らしい事なので文句のつけようもないですが、
このことに絡み、株主総会でちょっと気になることを聞きました。

それは、ゼンショーは人手不足の時代にあっても、
それなりに人出の確保はできている、
何故なら、当社の企業理念「世界から飢餓と貧困を撲滅する」
に共感する人が集まってくれるから...
みたいなことを言っていたことです。

バイトの応募をするのに企業理念なんかチェックするか?
と率直に感じたのと、
そういえば自分が働いていた会社にも大層立派な企業理念があったな!
ということを思い出しました。

企業理念を意識するのは?



企業理念を意識するのはどんな時か?
以下の2つくらいしかありませんね。

① 面接の時

志望動機で「御社の企業理念に共感して...」なんてのは定番でしょうか?
一応、会社の事を調べているアピールにもなります。

② 予算作成の時

予算の最初に「当社の理念である〇〇を実現すべく...」なんてのも定番の枕詞ですね。
中長期計画では必ず書かれていますね。

企業理念に違和感を感じる理由


立派な企業理念に違和感を覚える理由は単純で、
収益第一の私企業で企業理念みたいなものを前面に押し出すからでしょうね。

自分がサラリーマン時代を振り返ってみても、
予算が未達で怒られることは多々ありましたが、
「お前の提案では当社の理念〇〇を達成できないだろ!」
なんてことで怒られたことは一度もありません。

実際問題として、ブラック企業と呼ばれている会社ほど
立派な企業理念を持っていたりします。

こんなの当たり前かもしれませんが、
私は結構ひっかかるんですよね。

サラリーマン時代のモヤモヤを久しぶりに思い出しました。

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2019年6月15日土曜日

愛社精神の強い人が多い会社に転職すべきでない理由

「愛社精神」に潜む罠とは?


私が最後に勤めていた会社は愛社精神が強い人が多かったです。
自分が勤めている会社に愛着を持つこと、
それ自体は特別悪いことではなく、むしろ良い事のように思えます。
実際「愛社精神」をアピールポイントにして社員を集めようとする会社もあります。

しかし、そういった会社に中途で入る場合は要注意かと思います。
理由は2つあります。

① よそ者扱いされる

新卒で入った人とは明らかに違う対応をとる人がいます。
これにもいくつかパターンがあって、
単純に仲間ではないよね的な対応をとる人、
こんな良い会社に拾ってやったんだぜ!見たいな対応をとる人様々です。

② 格下扱いされる

愛社精神の強い人は、自分達はすごい!と思う傾向にあります。
従って、「お前らとは違う」みたいな態度で接する人もいます。

会社内でしか通用しないルール・言語に精通していないことが原因だったりもするのですが、
正直、何がすごいのが外から見ると全く分からないことも多いです。

① については、特別そんな人と仲良くしたくないので実害は少ないです。
問題は② ですね。
上司に格下扱いされた日には、評価に直結します。
これは相当な実害があります。

寄せ集め軍団のが居心地が良いかも?


私がいた会社でも、ごく普通の対応する人がほとんどですし、
中途で活躍している人も一定数います。

ただ上記のような対応する人の比率が結構高い気がしますね。
あとは、人事権とか持っている人が上記のような人だと浮かばれないということです。

そういう意味では、中途採用比率の高い「寄せ集め軍団」的な会社の方が働きやすいかも?

いずれにしましても、愛社精神があまりに強い人とは働きたくないですね。
私なんか会社が嫌いでしょうがないくらいなので、
あまりに価値観が違いすぎます。

まあ、おかげ様で私は愛社精神がゼロ、
むしろ嫌社精神があるぐらいだったので、
心置きなく会社を辞めてアーリーリタイアすることができました。
結果オーライかもしれませんね。

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2019年6月14日金曜日

私が年下上司が嫌な理由を丁寧に説明します

そもそも上司という存在が嫌いです


当ブログでは度々「年下の上司が嫌だ」ということを書いています。
このことは自分がセミリタイアを決断する重要なファクターになっているのですが、
この文言だけ見ると単なる器の小さい人間の愚痴に思えてきます。

私が器の小さい人間であるのは自他共に認めるところではありますが、
これだけですと私の意図するものが伝わらないと思いますので、
少々詳しく述べてみたいと思います。

大前提として述べておきたいのは私のスタンスです。
この問題を考える上では2つのポイントから述べてみたいと思います。

① 私自身は誰に対しても丁寧な言葉使いで接します

私自身中途入社で働いた経験が長かったこともあり、
基本的には誰に対しても「さんづけ」で丁寧な言葉で喋っていました。

ただ世の中には、相手によって極端に言葉遣いを変える人がいます。
上司・部下はもちろん、年齢が一つでも下だとわかるとがらりと言葉遣いが変わる、
客にはへこへこ、下請けには高圧的な態度、こういう人は一定数いるわけです。
こういうのは如何なものかと思います。

② そもそも上司・部下という関係が嫌いです

日本の会社では上司が部下を怒鳴ったりするのは当然!
という悪しき伝統が未だに残っています。

従って、年上・年下に限らず、上司がいるというのは精神的な安寧を脅かします。
なので「上司のいない世界」が自分にとって理想の生活です。

セミリタイアしてからの私に対して、
休日にいきなり電話をかけてきて怒る人はいません。

これだけでも会社を辞める価値はあると言えます。

年下上司の何が嫌か?


年功序列時代であれば上司は年上です。
何故この人は自分に高圧的な態度をとるのか?
それは年上だからであり、
このような社会だからしょうがないという諦めが付く部分もあります。

一方実力社会となれば上司は年上だったり年下だったりします。
仮に年下上司が高圧的な態度をとった場合、
それはどのような理由か?
それは自分より実力があるからと会社が判断したからなんでしょうけど、
そもそも本当に実力があるのかどうか疑わしいですし、
実力ある人がない人に威張って良いのかという問題もあります。

普通の人であれば年上でも年下でも問題ありません


そんなわけで、私は上司が年下だから無条件で嫌だといっているわけではありません。
普通の態度で接するタイプであれば、年上でも年下でも問題ありません。

一方、パワハラ的上司は年上でも年下でも嫌です。
ただその場合、年上であれば年齢という動かしがたい根拠があるので
致し方ないと自分を納得させることができなくはないですが、
年下でバカなヤツだと気持ち的にどうしようもありません。

私があのまま会社員生活を続けていたとすると、
40代前半くらいの上司が3~4年おきに変わる感じではなかったかな?
そうなると、中には相当変なヤツもいるでしょう。
そういうのはとても嫌だな~ということです。

幸いセミリタイア生活においては上司・部下といった上下関係はありません。
極めて健全かつ快適な人間関係の中にあると言えますね。

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2019年6月8日土曜日

「終身雇用制崩壊」 VS 「70歳雇用義務化」 ~ どっちが勝つのか? ~

政府 VS 経済団体の戦いなのか?


経団連や経済同友会のお偉方より「終身雇用はもう無理!」
という発言が相次いでいます。

一方政府からは、「70歳まで働く機会確保 法改正で企業に努力義務」なんていう、
真逆の方針が発表されています。

両者の本音をまとめるとこんなところではないでしょうか?

【政府の本音】

・国民よ!65歳になれば年金だけで食っていけるなんて思うなよ!
 今の制度でこのままいけるわけないだろ!

・経済団体よ!色々便宜を図ってやっているんだから、
 70歳までの雇用維持くらいでガタガタ言うな!

【企業の本音】

・本当は入社して研修中にクビにしたかったヤツも65歳まで雇っているのに、
 さらに70歳まで雇うなんて冗談じゃない。

それでは、将来的にはどちらの方向へ行くのでしょうか?

「終身雇用制崩壊の勝利」なんでしょうね?


様々な専門家の意見を見ていても、
終身雇用制崩壊は避けられない方向のような気がします。

しかしそもそも論として考えると、
今の段階で「終身雇用制」が理想的な形で機能しているとは思えません。

例えば、

・中高年を狙い撃ちした「早期退職募集」
・役職定年制の導入
・雇用延長時の低賃金

といったものが挙げられます。

中高年になれば「いきなりクビ」はないものの、
早期退職募集で実質的に辞めざるをえなかったり、
55歳とかで役職定年になって給料が半分になったり、
60歳以降の雇用こそ確保されるが給料が激安だったりと、
終身雇用っちゃ終身雇用だけどね!というレベルではないでしょうか?

私は「60歳過ぎて、安月給で働かされ、しかも上司が20歳も年下!」
なんて老後を過ごすのは絶対に嫌だったので、
とっととセミリタイアしたという側面もあります。

終身雇用崩壊を嘆いて文句を言うよりも、
今の終身雇用制度自体がそんな素晴らしいものじゃないぜ!
という前提で人生設計するのが大事なんじゃないかと思いますね。

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2019年6月6日木曜日

「楽しいセミリタイア生活」は「羨ましいサラリーマン生活」より簡単に達成できます

羨ましいサラリーマン生活とは?


セミリタイア界隈に長い間生息していると、

サラリーマン = 悲惨な生活
セミリタイア = 楽しい生活

というのを当然として考えてしまう傾向がありますが、
すべてのサラリーマンが悲惨な生活をしているわけではありません。

サラリーマンの中には充実した生活を過ごしており、
むしろ「羨ましい生活」じゃないの!なんてことを感じることもあります。

友人達の近況を聞く機会がありますとそんな思いを強くすることがあるのですが、
それではどういった状況を羨ましいと思うか?
基本的には2つのファクターが挙げられると思います。

① 高収入

自分のサラリーマン時代に比べて2~3割程度給料が高くても何とも思いませんが、
2~3倍ともなると話は別です。

② 責任ある仕事

仕事の話を聞くと「おーっ、そんなことやっているんだ!」と感心することがあります。
影響力の大きい仕事を任されるというのはヤリガイがあると思います。

「サラリーマン生活継続 or セミリタイア生活へ移行」の分水嶺


仮に私が勤めいた会社で順調に出世の階段を登っていたらどうなっていたか?

① の収入面ではせいぜい1.5倍程度かと思います。
ただ、ある程度偉くなると賞与の業績連動率がアップし収入は安定しません。

②の責任ある仕事は権限の関係でもう少し時間がかかっていたでしょう。
要するに権限を上が握るタイプの会社だと、
部長クラスでもできることは限られます。

つまり、彼らと同じ土俵に立つには「転職」しかありませんが、
私の職歴では条件の良い転職はほぼ無理。

従って、サラリーマン継続よりもセミリタイア生活を選んだ...
そういう側面もあります。

こうして客観的にサラリーマン生活を見てみると、
羨ましいサラリーマン生活を過ごせる確率は圧倒的に少ないですね。

それに比べれば、羨ましがられる対象かどうかは別にして、
楽しいセミリタイア生活というのはハードルが遥かに低いです。

私はこのことに気が付いて本当に良かったと思っています

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2019年5月28日火曜日

サラリーマンが旅行休暇を全力で楽しめない理由

サラリーマン休暇旅行は行く前から疲れている


















昨日は旅行から帰って疲れがとれないという話を書きましたが、
セミリタイア中の私は家でゴロゴロしているだけなので不都合はありません。
本を読んだりネットを見たりしているだけなので、
疲れていようがいまいがやっている事はあまり変わらないのです。

ただ、仮に自分がサラリーマンならばこんな悠長な事は言ってられません。

自分は自由に旅行に行ける生活がしたくてセミリタイアした部分もありますが、
旅好きの人にとっては「疲れ」というのは重要なポイントなので、
この観点からサラリーマン休暇旅行についてまとめてみたいと思います。

① 旅行出発前 ~ 既に疲れていませんか? ~

サラリーマンで1週間休むというのは年に1度のイベントです。
当然、留守中の仕事を予めやっておいたり引き継ぎ書を作成するなどして、
直前の週はいつもより忙しいのが通例です。
なので、旅行に行く前に既にヘロヘロなんてことも珍しくはないです。

② 旅行中 ~ 体力をセーブしていませんか? ~

当然ですが旅行後はすぐに仕事になります。
特に旅行の後半はそのことを考慮して、
体力をセーブする旅程にしているのではないでしょうか?

③ 旅行中 ~ 旅行中も仕事? ~

「休暇中もメールだけはチェックしろ!」
「携帯電話は常に出れるように!」

こんな状態で休暇を心から楽しめるか?
非常に疑問が残りますね。

④ 帰国後 ~ 疲れがとれないまま仕事 ~

欧米からの帰国の場合、時差ぼけを治すだけでも1週間程度は軽くかかります。
旅行疲れの後遺症がなくなるのは2週間くらいかかりますかね?
その間の仕事はつらかったですね。

サラリーマンの旅行休暇の質的問題


サラリーマン時代にセミリタイアしたいと思った理由は、
「1年に1週間しか旅行できないのはイヤだ!」
という量的(= 旅行期間)問題が大きかったのですが、
セミリタイアして振り返りますと、
旅行の質的問題も大きいです。

今ならば同じ1週間の旅行でもセミリタイア中であれば、
ベストコンディションで旅行に出発して、
1週間フルに全力で旅行を楽しみ、
帰国後は疲れたら好きなだけ休めば良いわけですから、
まるでクオリティが異なります。

この辺の事を考えていくとセミリタイアのメリットは
サラリーマン時代に考えていたより大きかったですね。


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2019年5月27日月曜日

サラリーマン生活を続けている限り疲れはとれない

海外から帰国後疲れがとれない!


2週間ちょっとの海外旅行から帰国しました。
行先はタイと台湾で、旅行の目的は冬季ロングステイの下見です。
ロングステイについて旅行先で考えたことについては別途まとめますが、
帰国して1週間近く経って率直に感じていることは

・体力がない
・疲れがとれない

という2点ですね。

このことは「セミリタイアして良かった!」
とつくづく実感することにもつながります。

30代は2週間程度の海外出張というのは時々ありました。
しかも行先は時差のあるエリアであり、
日曜日に帰国して月曜日から普通に出社というのもありましたが、
体力的には何とかなっていました。

40代になると海外出張は激減したのですが、
時々の海外出張の際は相当しんどかったです。
帰国後1週間は時差ぼけと疲労で使い物にならなかったですね。

そして50代。
仕事もしないでプラプラ旅行しただけ、
帰国後は自宅でゴロゴロしているだけなのに疲れがとれませんね。
帰国後すぐ仕事だったら...
ぞっとしますね。

40代後半は休暇明け1週間程度は全く調子が出ずだったので、
その兆しはあったわけですが、
これから年を取るにつれてその傾向はますます強くなるでしょうね。

疲れが蓄積するサラリーマン生活


思えばサラリーマン生活では長期休暇は1週間程度です。
その際も旅行に行ったり家族サービスだったりと、
純粋に疲れをとる目的では使われないかと思います。

仮に1週間みっちりと休んだとしても疲れが本当にとれるか?
個人差があるのはもちろん承知していますが、
50代ともなると無理ではないか?
セミリタイア生活をある程度過ごしての実感です。

そう考えますと、自分の身体を労わるという観点から見て、
実際にセミリタイアまで行かなくても、
せめて1か月、できれば1年間くらいは仕事を離れる
という選択肢はあっても良いのかと思います。

結局疲れがとれないまま働き続けて生涯現役...
これは如何なものかと思いますよ!


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2019年5月25日土曜日

無駄の多いサラリーマン生活、特に文章のダメ出し!

文章を修正されまくったサラリーマン時代



セミリタイア後も日々ブログを書いていますが、
サラリーマン時代にはその何倍もの文章を書いていました。
私は管理部門に所属していたので、仕事のメインは書類を書くことだからです。

そんな私が書いた文章ですが、上司によっては執拗なまでに修正をされました。
「文章がわかりにくい」「文章にセンスがない」
などという叱責とともに書き直しを命じられ、
最終的に上司の添削を経て終了ですが、このプロセスがとても嫌でした。
なぜ嫌だったかという理由は下記の通りとなります。

① 修正前と修正後で基本的な内容は変わらない

最終的に伝えたい内容は決まっています。
表現を多少いじったところで、理由と結論は同じなわけです。
それを細かいニュアンスにこだわって文章をいじることに意味はありません。

② 修正して文章が本当に良くなったかな?

細かいニュアンスなどを修正して文章が原型をとどめないくらい
修正されることもありますのですが、出来上がった文章を見てしばしば思うのは
「最初の文章のが良くない?」ということですね。

③ 費用対効果が悪すぎる

これが顧客に提出する書類であり、しかも社運を決するようなプレゼンの書類であれば、
事細かに文章を訂正するというのもわからないではないですが、
私の書いている書類は基本的に社内向けです。

文章の細かい修正をしている時間があれば、
その分をもっと前向きな仕事に使った方が良いと思うんですけどね...

私は管理職扱いなので残業代は出ませんが、
この文章修正によって人件費がかかる人もいるわけです。

修正前と修正後で文章は良くなったとしても、
膨大な時間とコストをかけただけの価値はないでしょうね。

やはり無駄の多いサラリーマン生活


今では誰に頼まれるでもなく日々好きなことだけを書いている日々ですが、
言い回しで迷った時など、ダメ出しをくらっていた日々をつい思い出すこともあります。
もちろん、当時のダメ出しが多少なりともブログの文章に生きる!
なんてことは皆無で、いや~な思い出が蘇るだけなのですが。

まあ、本件などは一例に過ぎないのですが、
やはりサラリーマン時代は無駄な仕事が多かったと思いますね。

文章作成仕事の中には、口頭で報告すれば30秒で済む話を、
1時間くらいかけて文章にまとめるなんてのも日常的にありました。

この辺を何とかすれば労働時間なんてすぐにでも短縮できると思いますけど、
やっぱり無理でしょうかね?


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2019年5月13日月曜日

出世していればセミリタイアしなかったか? ④ 会社の評価が低いのでセミリタイアできました、感謝です!

低評価に感謝!



















私はそれなりの評価を受けてそれなりの仕事をしていれば、
恐らく今でもサラリーマンを続けていたと思います。

ただし現実問題としては、
自分が受けるべきと考える評価と実際の評価のあまりのギャップに
仕事以外へ活路を見出すべくセミリタイアへの舵を切ったと言えます。

このことは裏を返せば、
会社が私を評価をしてくれなかったおかげで
今のゆるく楽しいセミリタイアがあるとも言えます。

そう考えると今までの上司にお礼を言わなければいけないかもしれませんね。
「低い評価を付けていただき、ありがとうございました」と。

もっと早くセミリタイアできたな!

願わくばですが、もっと早い段階でダメ出しが欲しかったですね。
30代後半までは次のステップへ行けるのか行けないのか微妙な感じでしたから。

この時期の空手形がなければもっと早く本価格的にセミリタイア準備ができました。
30代後半くらいの私は、すでにセミリタイア準備はしていましたが、
それほど本気ではなかった部分もあります。
今思えば、結構ぬるい生活を送っていました。

30代後半で超緊縮型財政を敷きつつ副業に力を入れるなどしていれば、
2~3年は確実に早くセミリタイアできたでしょうからこの点だけは残念です。

つらいサラリーマン生活と楽しいセミリタイア生活...
ここが2~3年入れ替わるのはとてつもなくでかいですよ!

とは言え、自分のサラリーマン生活に見切りをつけるのもなかなか大変です。
自分の仕事における実績・実力に自信のある人はなおさらですが、
この辺りの割り切りがセミリタイアにするためには重要ですね。

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2019年5月12日日曜日

出世していればセミリタイアしなかったか? ③ 出世しなければやりたいこともできません

ずっと下っ端は嫌です



















私は元々の考えとしては、出世などしなくても、
好きなことができればそれで良いというスタンスです。
この考えは今でも変わっていないのですが、
この考え方には大きな落とし穴があります。
それは、

「出世しなければ自分のやりたいこともできない」

ということです。

中間管理職以下の仕事では、やらされる仕事がメインとなるリスクがあります。

自分の最後の仕事を振り返ってみても、
ルーティーン+命令された仕事で9割以上でしたね。
自分の辣腕(あるかどうかは別にしてですが...)を振るう仕事はほぼ0です。

上司の求めるのは自分の忠実な駒として役割がメインでしたので
(ある上司にハッキリと駒という言葉を使われましたのせ使わさせて頂きます。)、
上司のイメージに近い仕事をした人が評価されるわけで、
これは自分のやりたいことと乖離するケースがほとんどでした。

まあ、下っ端の仕事など誰でも嫌でしょうが、
次のステップがあれば耐えることが可能かと思いますし、
若手の時期には必要な部分もあるかもしれません。

しかし、会社を辞めるまでずっと下っ端確定だったらどうか?
これは「やってられないぜ!」ということになるのでは??
そんな風に思います。

実際自分はそうなりました。

一生嫌な仕事確定なら逃げる準備を!

もちろん、上記事情は会社によって異なります。

例えば同じ課長職でも裁量の範囲は大きく異なるので、
「好きなようにやらせてもらっているよ」
という人もいれば、
「ボールペン1本買うのも部長の許可が必要」
なんて人もいるかと思います。

まあいずれのケースでも、40歳くらいにもなれば、
自分のやりたいことが会社で出来そうかどうかは何となくわかると思いますので、
その時どうするかは考えておいて損はないかと思います。

我慢してそのまま働くか新天地にかけるため転職するか?
それも良いのですが、セミリタイアで本当に好きな事(仕事以外)をする!
これも一つの有意義な生き方なんじゃないかと思います。

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2019年5月11日土曜日

出世していればセミリタイアしなかったか? ② そもそも出世とは?

そもそも出世とは?




















そもそもどの程度偉くなると出世したと言えるのか?
この問題は突き詰めると難しい部分もあります。

例えば、50歳で同期から最年少役員が誕生!
というケースではこの方が出世したことに異論はないでしょうが、
その他大勢の同期には部長もいれば課長もいるし、ヒラもいるでしょう。
「まあ部長になっていれば出世したと言えるのでは?」
と世間的・社内的には思われるかもしれませんが、
自分が役員になる気満々だった人であれば、
とてつもない挫折感を味わい、出世できなかったと思うかもしれません。

また、給与面から見ると違う景色も見えてきます。

例えば、同じ50歳でも会社によって給与水準が異なるのは当然です。
超一流大手企業の50歳で一番出世していない人と、
ごく普通の中小企業の50歳で断トツで出世している人では、
おそらく前者の方が給与面では高いと思いますが、
出世していると考えられるのは後者かもしれません。

ただこの辺には多少の違和感がありますね。

自分が出世していないと思えば出世してない

私が出世について考えることは一つで、それは

「自分が出世していないと思えば出世していない」

ということです。

「同期で真中より上だから出世している」
「同世代の平均賃金より上だから出世している」

こういった考え方は自分には意味がありません。

要は自分の実力・実績に見合った評価・報酬を受けているのか?
それについて自分がどう考えるかが問題だと思うのです。

この辺が不満なまま10年も20年も働くのはしんどいですよね?
私はとても耐えられそうになかったのでセミリタイアした、
そういう側面もあるわけです。


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