2021年7月28日水曜日

「修行は時間の無駄」論争に思う事

ホリエモンの主張には基本的には共感


堀江貴文さんの
「修業は、まぎれもなく時間の浪費だ」
の持論を久しぶりに目にしました。


これについては以前から賛否両論、色々な意見が出ています。

堀江さんは、"修業したいという人の意欲は、否定しない"とする一方、
"修業はスキル習得の絶対条件だ! という意見には、真っ向から反対する"
としており、基本的にはこの考え方に賛成です。

ただ、この問題を考えるにあたってもっと重要なファクターがあると思っています。

修行の先には何もないかもしれない


堀江さんはこの問題を語るときには寿司屋の例を良く出されています。
上記サイトから該当箇所を引用しますと

"修業は、まぎれもなく時間の浪費だ。寿司(すし)屋の修業を例に取ろう。昔の寿司職人の修業といえば、高校卒業か早ければ中卒で店に入り、皿洗いなど雑用を数年こなす。その後、焼き物を担当してまた数年。師匠から包丁さばきや、料理のノウハウを教わるようになるのに、気づいたら10年という流れが当たり前だった。

 独立できるのは、もう40代だ。そんな修業の時間は、完全に無駄遣いである。"

私が一番問題とするのは、修行にとんでもない時間がかかることではありません。

上記の例では「雑用を数年こなす」「焼き物を担当して数年」を経て、
ようやく包丁さばきなどの料理に辿り着くと書かれています。

私が問題にしたいのは、
雑用と焼き物をこなしたら本当に包丁さばきを教えてもらえるんでしょうね?
ということです。

雑用をさんざんやらされて安月給でこき使われて、
「お前には才能がない」
と言われてクビになるかもしれません。

昨今では飲食店の倒産・閉業という問題もあります。
さあ、いよいよ包丁を持たせてもらえると思ったら店を閉めるとか、
そんなリスクもありますからね。

恐らくこの手の業界には契約書なんてのはないでしょうから、
一生飼い殺しのリスクも否定できません。

サラリーマンにも近いものがある


実はサラリーマンの世界にも同じようなことはあります。

例えば私が就職した頃の30年程前の金融機関は、
資金運用や国際業務と言った華やか仕事を前面に押し出して学生を集め、
実際はどぶ板営業の最前線に投入するということをやっていました。

どぶ板営業を一所懸命やったら希望の部署に異動させてくれるのなら良いですが、
実際は生涯営業の人が圧倒的に多いわけです。

これなど、「一生修行していろ!」と同義ではないかと思います。

そもそも華やかな部署に配属されるのは一部の人だけですから、
採用の仕方に大きな問題があったと言わざるを得ません。
(昨今はかなり改善したとは聞きますが...)

一生修行よりセミリタイア


寿司屋の例で言えば、
一生「雑用」みたいな形で終わるサラリーマンは結構多いかと思います。

サラリーマンの場合、仕事の本質は雑用なのに、
それなりに昇進・昇給とかしていきますので、
ちょっと見えずらく、自覚しにくい部分はある気がしますね。

いずれにしましても、自分の仕事が生涯修行みたいなポジションだったら、
そこに見切りをつけてセミリタイアを目指すのはありかと思いますね。


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