私の通っていた大学では、3年生からゼミに入ることができます。
大学2年生ともなると、ゼミ説明会が開催されます。
私は厳しい事で定評のある先生のゼミの説明会に出席していたのですが、
その時、一人の学生が以下のような質問をしました。
「1週間で拘束時間はどのくらいですか?」
こちらのゼミは中々魅力的なテーマを扱っているので人気はそこそこあるのですが、
「厳しい」という定評があるゼミですので、
実際どの程度厳しいのか?どの程度勉強しなければいけないのか?
というのは皆が知りたいテーマだったので、
私は「いい質問だな」と思いつつ、先生の回答を待ちました。
先生の回答は、
「君はゼミで好きな勉強をするんだろ?何故好きなことをするのが拘束なんだ?
僕には言ってることがわからないな。」
というような回答で、実際にどのくらい勉強するかなどの回答はありませんでした。
違和感の正体は?
確かに、ゼミに入る義務というのはそもそもありません。
勉強したくて入れてもらうゼミで勉強させて頂くのに、
それを「拘束時間」というのか、君は?という理屈は一見正しく思えます。
ただ、サラリーマン生活という長時間の拘束生活を経て、
全く拘束のないセミリタイア生活に入った立場から言うと、
たとえどんなに好きな事でも、行かなければいけない、
やらなければいけない、
というのは義務的要素がつきまとうのを実感します。
「好きなことを好きな時にやる」、というのが理想であるならば、
仕事がどんなに好きでもサラリーマン生活は理想になりえません。
何故なら、どんなに気分が乗らない時でも仕事に行かなければいけないからです。
結局、組織から離れて、ある程度の経済的自由を確立していない限り、
真の自由な生活というの得られないのでは?と思います。
30年前の小さなことを克明に覚えているというのは、
「拘束」という言葉が当時から嫌いだったんだろうと思います。
ちなみにそのゼミでは、週1日は午後1時から夜遅くまでゼミがあり、
その他の日はその準備で、通常の授業後も夜遅くまで作業があるため、
バイトする時間もなかったらしいです。
大学生は本来それくらい勉強しないといけないのかもしれませんが、
私にはハードルが高かったですね。

にほんブログ村
0 件のコメント:
コメントを投稿