「日本は小国になるが、それは絶望ではない」の読後感想
加谷珪一著の 日本は小国になるが、それは絶望ではない を読みました。
本書の趣旨を簡単にまとめると以下の通りです。
日本の人口減少は避けられないため、
日本は経済大国の地位からは落ちていくことになる。
そこで日本が目指すのは消費立国ということになるのだが、
その為には生産性を上げる必要があり、
付加価値の高い産業に資源を投入していく以外の道はないというもの。
本書の基本的な主張はその通りだと思いますが、
実現性は極めて難しいような気がしますね。
産業構造の転換が必要な時期でも、
政策的にはむしろ、不採算企業をいかに生き残らせるか?
に注力しているような節が見られますし、
一括採用・年功序列といったシステムも、
むしろ悪い面だけ残っていると思われますので、
理想的な形で日本の産業界が変わっていくのは至難の業かと思います。
上司は全人格的に部下より立場が上
個人的に本書の主張で一番印象に残ったのは以下の文言です。
"昭和型の組織では、上司は全人格的に部下より立場が上でした。上司には権威があり、その発言内容にかかわらず、上司の言うことは絶対だったわけです。(p206)"
この文言にはサラリーマン生活がなぜ辛いのかのエッセンスが詰められています。
後半部分の「上司の言うことは絶対」というのは、
平成・令和の時代にも未だ見られることですが、
注目すべきは「上司が部下より全人格的に立場が上」というポイントです。
昭和型の上司というのは基本的には年功序列で上司になったわけで、
能力的・人格的に優れているから上司になったわけではありません。
ただ、上司の説教・叱責的なものの際には、
「優れている人間が劣っている人間を教育・指導する」
といったニュアンスが付きまといます。
私がサラリーマン時代に常に感じた違和感はこれでした。
方向性としては悪いほうへ動いている
本書では、
"消費主導型経済における上司というのは、あくまで組織から付与された権限に基づいた、機能的なものでしかありません。(p206)"
と未来的な組織の在り方を提唱しています。
こういったドライな組織が本当に実現するのであれば、
私もサラリーマンを辞めずにすんだかもしれませんが、
現実の方向としては、
ますます少数の偉くなった人に、
ありとあらゆる権限が集中しているイメージですね。
むしろ年功序列が中途半端に崩壊している今日では、
上司は能力的に部下より優れているから上司なのだ!
という側面が強調されている気が致します。
日本が本当に小国になるかどうかは別として、
日本のサラリーマンの受難はしばらく続くような気がしますね。
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