2018年4月1日日曜日

団体行動が微笑ましいのは小学校入学前まで

小学校から始まる息苦しさ

セミリタイアをしてからは、午前中に買物など行く機会が多いので、
公園で未就学児童が遊ぶ姿をよく見かけます。

近所にある保育施設が子供を遊ばせるために、
割と大き目の公園に集まってくるのです。
保育士の方々は大変かと思いますが、
楽しそうに遊んでいる子供たちの姿は微笑ましいものがあります。

一方、これが小学生となるとがらりと印象は変わります。
自分には、がっちりと閉じられた門の中という空間で、
きっちりと団体行動できるように「教育」されているという印象を受けます。

先日も近所の小学校の校庭で、何かのパレードかなんかの練習を
やっているのを見かけたのですが、
生徒たちの「やらされている感」をビンビンに感じましたね。

セミリタイアまで続いた息苦しさ

自分の小学生時代を考えても、団体行動や労働(勉強)の重要性をこれでもか!
というくらいに叩き込まれてきたように思えます。

小学校から高校まで、よくあんな狭い空間に閉じ込められて、
同じ先生、同じメンバーで1年なり2年なり一緒にやってこれたと思います。

自分のような人間が四半世紀に渡りまがりなりにも
サラリーマンをやって来れたのも、
日本の教育の賜物だと言うのが今ではよくわかりますね。

実はサラリーマン生活最晩年頃に印象的だった光景があります。
どんよりとした天気の日に、嫌々会社へ向かっていると、
遠足に行く観光バスが小学校の前に数台停まっていました。

それが自分には集団で行きたくもないところに連れていかれるという、
何かの罰にしか見えなかったんですよね。

遠足を楽しみにしている人達には失礼極まりない話ですが、
自分の当時の心境からしてそうとしか見えなかったわけです。

セミリタイアをしてやっとそういった息苦しさから解放されたわけですが、
過去を振り返ると小学校時代からサラリーマン時代まで、
ずっと我慢の連続だったのかな?
なんてことを思うわけです。

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