「お殿様の定年後」を読む
お殿様の定年後 (日経プレミアシリーズ) という本を読みました。
大名が家督を譲って隠居した後の活動に焦点をあてた本で、
隠居後の大名達は文化振興に力を入れたり、
芝居見物などの趣味で人生を謳歌したりと、
退職後の生き方も様々なものがあり興味深く拝読致しました。
大名の隠居と言っても、
今でいう早期退職の年齢で家督を譲った大名も多く、
その傾向は時代を経るごとに強くなっていったようです。
江戸の時代は「大名の早期退職化」が進行
四十七歳で「早期退職」した肥前平戸藩主松浦静山を取り上げた章には、
江戸時代は「大名の早期退職化」が進展した時代であることが書かれています。
"静山は四十七歳で隠居に踏み切ったが、この年同じく隠居が認められた大名の年齢をみると四十三歳、四十九歳、五十一歳、五十七歳であった。大名の隠居年齢の統計によれば、江戸前期(一六〇〇~一六九九年)は平均六十・九歳だが、江戸中期(一七〇〇~一七四九年、一七五〇~一七九九年)はそれぞれ五十三・九歳、四十七・四歳、江戸後期(一八〇〇年以降)には四十五・八歳にまで低下するという。平均年齢から言えば、静山が四十七歳で隠居したのは特別に若いものではなかった。 (お殿様の定年後 安藤優一郎 p164)"
もっとも、旗本には高齢になっても役職を退かないケースも多く、
"仕事を生きがいと考えるお殿様と、早いうちに仕事をやめて隠居し第二の人生を送ろうとするお殿様に二極分化していたのだ。(同上 p164)"
とのことなので、この辺りは現在のムーブメントに共通するものがあるかもしれません。
セミリタイアブロガーのさきがけ「柳沢 信鴻」
個人的に生き方に共感を覚えたのは大和郡山藩主柳沢信鴻ですね。
隠居後には庭いじりと歌舞伎に熱中したという羨ましい人生を過ごしました。
もっとも庭いじりといってもそのお庭は「六義園」であって、
歌舞伎についても藩邸内で芝居の自主興行を行うまでに至っており、
スケールの大きさは流石に大名といったところです。
柳沢信鴻は1745年に22歳で家督を継ぎましたが、
1773年9月25日に隠居届を提出、
同年10月3日に幕府から隠居を許されます。
50歳で早期リタイアしたのですね。
この信鴻ですが、隠居した年の元日から「宴遊日記」を書き始めるのですが、
その冒頭で自分は隠居の意志があることを表明しています。
この辺りは、早期退職を決意してブログを立ち上げ、
以降、そのブログを書き続けるという行為に似ているかな?
早期退職した年齢も私と同じということもあって、
妙に親近感を覚えましたね。
平和がつづくとそういう傾向になるのかも
返信削除江戸時代が平和だった傍証と言えそうです。
削除現代では社会の上の方にいる大金持ちの人は
返信削除往々にしてその人の稼ぎにぶら下がって生活してるしてるような
取り巻きみたいな人達がいっぱいいたりするので、
一度は普通のおばさんに戻りますとか言って引退したのに
結局は戻れなかった都はるみさんみたいに
なかなか仕事が辞められなかったりするのでしょう・・・
大金持ちほど自分の都合で引退できないケースは多いですね。
削除二代目社長なんかはそのパターンが多いような気がします。