年功序列がワークした時代
私が20代だった30年くらい前の話ですが、
今思えば年功序列がそれなりにワークしていたのかな?
と思うことがありました。
登場人物はAさんとBさんで、アラフォーの同期です。
この二人は経歴・実績はほぼ互角といったところですが、
Aさんが先に課長に抜擢されました。
ただし、Bさんも係長のままというわけではなく、
「支社長付」という一見よくわからない肩書がついて、
待遇面ではほぼ課長と同じ(役職手当分だけ安い)、
実務面でもそれなりの仕事をまかされていました。
将来、取締役とかを目指すのであれば、
「課長」と「支社長付」の差は天と地ほど離れているらしいですが、
そこまで偉くなる人はそもそも極少数ですので実質的な差はありません。
むしろ課長になってしまうと部下の面倒も見なければいけないので、
支社長付のが自分の仕事のみに没頭すれば良いという、
プラスの側面もあります。
それなりに努力が報われる時代
上記の例では、AさんとBさんは実力・これまでの実績面でほぼ互角ですから、
その後の待遇をほぼ同じにするには理にかなっています。
仕事面でも、Bさんはそれなりに難易度のある仕事を特命的に任されるので、
それなりにやりがいというのもあります。
人材を活かすという面でも年功序列の良い部分がでていたかと思いますし、
それなりに努力が報われやすい時代だったかと思います。
「実力主義」が導入された結果
いわゆる「実力主義」というものが導入されるとどうなるか?
上記のAさんとBさんの例を自分なりに推測してみると、
「天国と地獄」が待っていることになるかと思われます。
Aさんは課長に昇格ということで給料が跳ね上がります。
一方、Bさんは係長のままですから給料はそのまま。
給与面では、最近は役職間の給与が開く傾向にありますから、
おそらくBさんはAさんの2/3以下の待遇になるかと思います。
しかも、仕事も従前と変わらずです。
実力・会社への貢献度はほぼ同じにも関わらず、
その後の人生は大きく異なることになります。
負け組に入れられたらセミリタイア
今の人事制度を俯瞰してみますと、
一部の「優秀」な連中が会社を回しているので彼らには高給で遇し、
その他の代わりはなんぼでもいるので薄給でいいや!
というコンセプトに近いのかな?と思います。
私はこの辺の構造には多いに疑問を持っていますが、
アメリカに比べてトップマネジメントの給料は安い!
なんて思っている経営層が多い昨今ですから、
この傾向は強まりこそすれ、
昔の年功序列的なものに戻ることはないでしょう。
まあ、少数の勝ち組に残れる確率はそもそも低いですからね。
負け組前提で、さっさとセミリタイアを目指すというのは、
今の人事制度に対抗する意味でも有効なんじゃないかと思います。
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