昔やりたかったが今では全然やりたくない
ここまでは「やりたいこと」について触れてきて、
その多くは、セミリタイア後にやりたくなったものだ!
という内容を述べてきました。
このことは裏を返せば、
会社員時代にセミリタイア後にやろうと思っていたことが、
今は全然やりたくないというものが結構あるということでもあります。
その点について述べてみたいと思います。
ボツになった「やりたいこと」
私が会社員時代にやりたかったことで、
ボツにしたものは以下のようなものがあります。
① 英語以外の言語(イタリア語 or タイ語)で通訳案内士資格を取得する
② 大学院に通う
③ 資格取得
④ 哲学を体系的に学ぶ
①について言えば、セミリタイア後に独学で学んだ時期もありますが、
時間がかかるわりに成果が少ないのでやめました。
やはり、語学の勉強をしているよりも、
推理小説とか読んでいた方が楽しいということ、
長期間の海外旅行への興味が減少したこと等が理由です。
②は④とも関連してきます。
会社員時代は、大学時代に本当は勉強したかったこと、
こういったものを学び直す、または、新たに学ぶ、
こういった願望はそれなりに持っていました。
しかしながら、セミリタイア生活を経験した今となっては、
本格的に体系だって勉強する気力は完全になくなりましたね~。
③は暇つぶし的に簡単な資格の勉強をしようということです。
例えば、私は危険物取扱者乙種第4類の資格を持っていますが、
乙種試験は第6類まであるので、completeしよう!みたいなことです。
これは今でもちょっとだけやりたい気持ちはありますが、
実際には何もしていません。
形に残したい!は悪い癖かも?
上記の①~③に共通することと言えば、何らかの形が残るということです。
資格試験ならば資格が手に入りますし、
大学院に行けば学位を取得することができます。
「セミリタイア後に時間がでたので勉強して、
〇〇という資格を取得しました!」
なんてことを言うと、ちょっと充実した生活を過ごしている感じがする...
ということを、私は考えていた節があるのかな?
と今振り返れば思います。
今では、こういったある種の形を残そうというのは、
悪い癖のように私は思います。
まあ、この辺は気が変わって勉強したくなる可能性もありますが、
今のところは、日々それなりに過ごせれば満足という感じになっていますね。
これを堕落と呼ぶべきか、承認欲求からの解放と呼ぶべきか。セミリタイアすると後者が多いかな
返信削除世間的には堕落に見えるでしょうが、見えたところで全く気にならなくなったという感じです。
削除FIREすると勉強しても結局自己満足で終わってしまうのではという気分にはなりますね。自分は語学は動画ベースで続いていますが、技術的なことはあまり勉強が続かなくなりました。仕事で使うわけでもないのでモチベーションが下がってしまいました。
返信削除就職・転職の為なら気合も入りますが、純粋に趣味の領域での継続は困難といったところです。
削除