2022年5月7日土曜日

私が「支出の最適化」という言葉に違和感を覚える理由

「支出の最適化」を掲げるFIRE民は多い


「支出の最適化」と言えば、
自分が価値あると信じるものにはきちんと支出しつつも、
自分が価値がないと信じるものにはびた一文使わない!
ということかと思います。

FIRE達成の為の必要条件としてこのことを掲げる人は多く、
私自身もこの考え方自体には賛同するところが大ではありますが、
実際の運用面では違和感を感じるケースが散見されます。

本来は必要なものを不要と分類する


「支出の最適化を達成しました」と主張する人の中には、
支出を相当切り詰めている人もいます。

極端に支出を抑制している人が支出の最適化と言っても、
本来必要なものも不要なものに分類しているのでは?
と思われるケースもあります。

そりゃ~最低限生きていくのに必要なもの以外をすべて不要と分類すれば、
支出は簡単に削ることはできますが、
「最適化」とはちょっとそれは違うのでは?
というケースが増えているように思います。

妥協はしていないのか?


「支出の最適化」では基本的には節約・倹約生活を過ごしながらも、
自分が欲しいものは躊躇なく買う!
というコンセプトが含まれているかと思います。

例えば、車が趣味というケースを考えてみると、
「動けば良い」よりは遥かに良い車を買うことになりますが、
車の値段など良いものは数百万円以上は軽く超えます。

となると、本来的にはもっと高い車が欲しいけど、
妥協してこの車に乗っているという状況になるわけで、
厳密に言えば「支出の最適化」なんてのは永遠に達成できないのでは?
なんてことを考えてしまいます。

言葉が独り歩きしていないか?


「倹約」「節約」「ドケチ」という言葉よりも、
「支出の最適化」という言葉の方が遥かに格好いいですし、
そのコンセプトは素晴らしいのですが、
ちょっと言葉が独り歩きしているかも?という懸念はありますね。

まあ、私がひねくれているからそう思うだけかもしれませんが...

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