2022年5月16日月曜日

「40代以降の努力は無駄」というサラリーマン社会の構造が問題

40代で仕事に開眼しても遅いという話


30代では極々普通の会社員だったものの、40代を前にして一念発起、
40代ではずば抜けて実力を発揮し始めた人がいるとします。

そして、実力的にはこの人より若くして早く出世した上司より、
客観的に見て実力面ではこの人を追い越しているよな...
という状況になったとします。

それではこの人が上司を飛び越して出世する機会があるか?
と言われれば、おそらく多くの会社ではないのではないかと思います。

一度ついた序列を崩すのは不可能な会社が多いのでは??

努力が無意味ということ


確かに仕事に開眼したり優秀な成績をおさめることができれば、
査定はアップしてボーナスが多少なりとも増えたりはしますが、
おそらく抜本的な待遇改善というのは見込めないでしょう。

しかも、もう少し年齢が行くと、
役職定年という名の大幅賃金カットも待っています。

このような環境において、
40代以降も仕事上で努力を継続するというモチベーションを保てるのか?
というのは非常に疑問があります。

30代で査定が低ければ早期退職


40代以降は努力しても無意味では?というのは、
何となく30代にはわかってきてしまいます。

こういうサラリーマン社会の構造というのは、
定年が65歳とか70歳になるとますます問題では?
と個人的には思いますが、
あまり問題にしている声は聞きません。

もちろん、昨日紹介した記事のように、
40代以降で「居場所を作る為に一所懸命働く」という努力はあっても、
それはクビになりたくない!という非常に後ろ向きなものです。

こういったサラリーマン社会の構造がつまらないと思うなら、
仕事以外の面で充実を図るという早期退職というのは、
40代以降の人生を考えたら極めて有効な生き方ではないか?
ということを改めて思いました。

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