セミリタイアしたての時の「感動」
サラリーマンを辞めた直後に感じた、
「もう会社に行かなくても良いんだ!」
という「感動」については今でも忘れませんね。
この解放感というような感情というのは、
「さあ、これから〇〇を好きなだけやるぞ!」
という感情に遥かに勝るものでしたね。
私の場合、〇〇には読書と旅行が入るわけですが、
そんなことより会社に行かなくて良い!という事実の方が、
自分にとっては重みがあったと思います。
暇でやることがない >>> 嫌な仕事をやらされる
セミリタイア批判者の一部の論調では、
「暇でやることがない」と言うこと自体が苦痛として語られますが、
「暇でやることがない」ほど素晴らしいものはないんじゃないかな?
ということを痛切に実感することが今でもあります。
流石にセミリタイアして4年以上が経過したので、
会社を辞めた当時のフレッシュな感動こそありませんが、
暇であることの素晴らしさは今でも随所に感じることがあります。
百歩譲って暇であることが苦痛であったとしても、
サラリーマン時代の苦痛よりつらいなんてのはありえないですね。
「暇」を必要以上に恐れている?
そもそも社会人の多くは、
入社してからずっと忙しくしており、
長い期間暇になったことがないのでは?
私はセミリタイア批判論者の多くは、
「暇未経験者」ではないのかな?
という疑念を持っております。
次項ではこの点について触れたいと思います。
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この記事にいろいろ言いたい意見はあるのですが、
返信削除詳しくは自分のブログで書きたくなったので
詳細な話は後日そちらに譲るとして、
これに対して反論する要因は
大きく2つあると思うんですよね。
一つは主に学歴によるもの
せっかく幼少の頃から一生懸命勉強したのに
社会に還元しなけりゃ
何のために勉強して良い大学を出たんだという思い。
もう一つはいわゆる世間体と言うやつで、
いわゆる名家だとか良い家柄に生まれた場合に
親族と比較されて社会的に何もしてないと
親や兄弟や親戚とかに
有形無形に責められるというのがあると思います。
そして両方ともない人の場合は、
暇な人生で何が悪いって主張になってくるのは分かります。
といった感じです。
一所懸命勉強してそれなりの大学に入って、
削除サラリーマンのスキルもそれなりにあるのに、
50歳とかでリストラされる時代ですから、
ある程度の年齢になると、
社会への還元というのもなかなか難しい気がしますね。
名家ともなるとプレッシャーは半端ないものもあるでしょうから、
私なんかの想像を超える部分はあるかと思います。