2022年1月19日水曜日

【セミリタイア × 暇】③ 「暇でやることがない」は素晴らしい!

セミリタイアしたての時の「感動」


サラリーマンを辞めた直後に感じた、

「もう会社に行かなくても良いんだ!」

という「感動」については今でも忘れませんね。

この解放感というような感情というのは、

「さあ、これから〇〇を好きなだけやるぞ!」

という感情に遥かに勝るものでしたね。

私の場合、〇〇には読書と旅行が入るわけですが、
そんなことより会社に行かなくて良い!という事実の方が、
自分にとっては重みがあったと思います。

暇でやることがない >>> 嫌な仕事をやらされる


セミリタイア批判者の一部の論調では、
「暇でやることがない」と言うこと自体が苦痛として語られますが、
「暇でやることがない」ほど素晴らしいものはないんじゃないかな?
ということを痛切に実感することが今でもあります。

流石にセミリタイアして4年以上が経過したので、
会社を辞めた当時のフレッシュな感動こそありませんが、
暇であることの素晴らしさは今でも随所に感じることがあります。

百歩譲って暇であることが苦痛であったとしても、
サラリーマン時代の苦痛よりつらいなんてのはありえないですね。

「暇」を必要以上に恐れている?


そもそも社会人の多くは、
入社してからずっと忙しくしており、
長い期間暇になったことがないのでは?

私はセミリタイア批判論者の多くは、
「暇未経験者」ではないのかな?
という疑念を持っております。

次項ではこの点について触れたいと思います。
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2 件のコメント:

  1. この記事にいろいろ言いたい意見はあるのですが、
    詳しくは自分のブログで書きたくなったので
    詳細な話は後日そちらに譲るとして、
    これに対して反論する要因は
    大きく2つあると思うんですよね。
    一つは主に学歴によるもの
    せっかく幼少の頃から一生懸命勉強したのに
    社会に還元しなけりゃ
    何のために勉強して良い大学を出たんだという思い。
    もう一つはいわゆる世間体と言うやつで、
    いわゆる名家だとか良い家柄に生まれた場合に
    親族と比較されて社会的に何もしてないと
    親や兄弟や親戚とかに
    有形無形に責められるというのがあると思います。
    そして両方ともない人の場合は、
    暇な人生で何が悪いって主張になってくるのは分かります。
    といった感じです。

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    1. 一所懸命勉強してそれなりの大学に入って、
      サラリーマンのスキルもそれなりにあるのに、
      50歳とかでリストラされる時代ですから、
      ある程度の年齢になると、
      社会への還元というのもなかなか難しい気がしますね。

      名家ともなるとプレッシャーは半端ないものもあるでしょうから、
      私なんかの想像を超える部分はあるかと思います。

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