2022年1月5日水曜日

「低所得でも幸せな人も」が説得力がない理由

森永卓郎氏の主張


森永卓郎さんと言えば、所得が少なくても楽しく生きていこう!
という類の主張をずっとされてきた方です。

下記のコラムでもこのような主張をされています。

" 私の最大の疑問は「面白くない仕事に従事するのは幸せか」ということです。
 賃金は上がらず、疲れて帰った狭い部屋で、スマホをいじって1日を終える人も多いのではないでしょうか。また、マニュアル化された仕事はあと十数年のうちに、人工知能に置き換えられてしまうはずです。
 では、その時どんな仕事をすればいいのでしょうか。
 私は、資産運用に血道を上げたり、嫌な会社にしがみつく「資本の奴隷」を続けたりすることではなく、自分の創造性を生かして好きなことをする「アーティスト」になることをお勧めします。"

(引用元)面白くない仕事、幸せですか 森永卓郎さん「低所得でも幸せな人も」
面白くない仕事に従事することが幸せであるはずはありません。

ただ、ここで述べられているアーティスト的な仕事で生涯生活していくのは、
極めてハードルが高いのが現状だと思います。

面白い仕事は賃金も高い


そもそも論として、

「面白い仕事は賃金も高い」

というケースが多いのではなないでしょうかね?

「給料は安いけど自分の好きなことをやっているから良い」

みたいなケースは極めてレアじゃないかな?

自分の好きな事だけじゃ食べていけないので、
結局バイトが収入の中心ということになれば、
その人のメインの仕事はバイトになってしまうと思います。

だったら最初から早期退職・セミリタイアを目指す


自分の好きな事を追求していったら、
結局、生涯バイトの日々だったというリスクはかなり高いと思います。

であるならば、嫌な会社にしがみついて資本の奴隷をある程度継続、
種銭を作ったところで早期退職・セミリタイアを目指して、
その後は自分の好きな事をして生きる方が、
確率論としてシアワセになれる確率は高い気がしますね。

セミリタイア後の「好きな事」については、
アーティストを目指す必要もなければ、
そもそもお金を稼ぐ必要すらないわけで、
人生の選択肢は相当広がりますからね。

まあ、「低所得で幸せな人」はいるとは思うけど少数派の気が致します。

セミリタイア的な「低消費で幸せな人」というのは、
低所得労働という苦役から解放されており、
現状の資産で逃げ切れる目途が立っている前提での幸せです。

貧乏でも好きな仕事をしているから良いというのは、
長い人生を考えるとちょっと危険じゃないでしょうかね?

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