藤沢数希氏のツイートについて
作家で投資家の藤沢数希さんが面白いツイートをしていたので、
これについてちょっと考えて見たいと思います。
年金生活者でもセミリタイアでも金持ってる失業者でも、働かなくても暮らせる人、毎日Netflix見たり、ひたすら消費者として無為な人生を過ごしていく人が大半で、社会に何か価値を提供し続ける人は限られる。後者の人にとっては、ただ消費している暮らしというのは大変につまらないものに思える。
— Kazuki Fujisawa (@kazu_fujisawa) October 9, 2021
このツイートに関して言えば、
共感できる部分とできない部分があります。
セミリタイアは”消費者として無為な人生”なのか?
一番違和感を覚えるのは、
"働かなくても暮らせる人、毎日Netflix見たり、
ひたすら消費者として無為な人生を過ごしていく人が大半で..."
という部分でしょうか?
今の私は働かなくても暮らせており、
ひたすら消費者として生活をしていますが、
サラリーマン時代より遥かに充実した生活というのが実感です。
そもそもNetflixを作る人だって、
見る人(消費者)がいなければ成り立たないわけで、
その消費者の人生を「無為な人生」としてしまうのはちょっと乱暴かと思います。
セミリタイア批判者の心理は表している
一方、本ツイートを、
”セミリタイア批判者の心理を分析したもの”
ととらえれば、なるほどと思うところはあります。
"後者の人(社会に何か価値を提供し続ける人)にとっては、
ただ消費している暮らしというのは大変につまらないものに思える。"
ここで言う「社会に何か価値を提供し続ける人」というのは、
サラリーマンでもそれなりに成功している人というイメージですね。
藤沢さんも、”社会に何か価値を提供し続ける人は限られる”と言っているので、
極々普通のサラリーマンのことは指していないのではないかな?
こういった人達から見れば、
セミリタイア生活は極めてつまらないものに思えるのだ!
ということを語っているのであれば、
それはなるほどそういうことなのか??
と解釈できなくもありません。
成功者に何を言われて気にならないかな?
まあ、社会的に成功を収めた人から見れば、
朝から晩までNetflixはさぞやつまらないに生活に見えるでしょうね~。
ただ、そんな人達がいくらセミリタイア生活を批判したところで、
「そこまで言うならいっちょ働いてやろうじゃないの!」
なんてことにはなりません。
そもそも、誰もが社会的に価値を提供していると認める仕事でも、
それが面白いとかやりがいがあると思うかは、
本人次第、人それぞれですからね。
まあ、最初のツイートに話を戻せば、
セミリタイア生活者を批判するまでは良いとしても、
年金生活者まで無為な人生と言ってしまうと、
ちょっと違和感を持つ人は多い気がしますね。
ほとんどのサラリーマンにとっては自分のやっている仕事で直接喜ばれる、感謝される、世の中の役に立ててるという感覚は薄いだろうなあ。客に直に対面する営業であってもたぶん薄いと思う。
返信削除でもそれで仕方ないことなのかもな。そういうものなんだろう世の中は
返信削除感謝されることばかりが大事なことでもない。
感謝どころか文句ばかり言われていた気がします。
削除営業時代は特にその傾向が強かったです。
それが仕方ないと言われれば、そんな気もしますね。
まあ、毎度毎度言ってることなのですが、
返信削除世の中の大多数の人にとっては
セミリタイアは「消費者として無為な人生」ってのは
そらそうよって気がします。
でもある程度の高齢で子供がいなけりゃ
積極的に働き続ける意味が感じられないし、
必死で働いたとして
その最高傑作が「紀州のドンファン」ぐらいにしか
なれないのが見えてるんだから、
働くこと自体は否定しないにしても
子供がいる人もしくはこれから子供を期待きる人と
同列にされたら馬鹿を見そうですよね。
乙武洋匡氏が手も足もないのに
消費者として無為な人生だとか言われても
おそらく反論するだろうし、
みんな自分が与えられた環境の中での
最善を尽くそうとしてるわけなのです。
仕事が義務的なものだったり、少なくとも楽しいものではない限り、
削除ご指摘の通り働き続ける意味がないと思いますが、
仕事そのものが最大の喜びみたいな人には、
この辺の感覚がわからないのではないかと推測します。