2021年6月15日火曜日

近所の暇そうな「老人の3類型」から老後の孤独を考える

近所の公園は老人のたまり場


私の近所の公園は老人のたまり場となっています。

今の季節はちょうど屋外でまったりとするには良いらしく、
その人数はちょっと前に比べて増えています。

私はそういった公園でまったりとする趣味はないのですが、
図書館やスーパーに行く際に通る機会が多いので、
何となくよく見る顔ぶれは覚えています。

そのよく見る顔ぶれの老人達には3類型あるようです。
それぞれにタイプに孤独の影を感じることができて、
自分の老後を考えるきっかけにもなるかな?と思いました。

暇そうな老人の3類型


まず第一に、老人達の中心に陣取ってずっと喋っている3~4人組がいます。
スポーツ新聞をネタに時事ネタ的なことをあーだこーだと喋っている感じ。
朝から酒が入っていることも...

第二は彼らのちょっと外側に陣取って話を聞いているだけの老人達。
会話に加わるわけでもなく、なんとなく話を聞いている感じです。

第三は彼らとは離れた場所に一人でいる老人達です。
何もしないでボーっとしているように見えます。

個人的にシンパシーを覚えるのは??


個人的にシンパシーを覚えるのは第三の一人でボーっとしている老人ですね。
老後に何も憂うることがなくボーっとするのは幸せの極みかもしれないな...と思う反面、
何も老人のたまり場みたいなところでボーっとすることはないのにな...と思います。
というのも、もっと静かな公園はいくらでもあるからです。

ちょっとした人恋しさみたいなものを感じて、
こういった混雑した公園を選んでいるのなら、
あまり幸せでもないのかもしれないと思いました。

一方、朝から酒のみながら、
ご近所さんと野球の話とかするのが魅力的か?と言われれば、
そういう生活はちょっと勘弁かな?
ましてや、そんな話を聞いてるだけというのはもっと勘弁という感じです。

今のところは近所に茶飲み友達が欲しいとか思いませんが、
自分が70歳とか80歳とかになったときには心境は変わるんでしょうかね?

普段見ている近所の暇そうな老人達それぞれに孤独の影を感じるので、
自分の身の振りもちょっと考えようかな?と思う反面、
今の生活の延長線上に自分の老後があるならば、
自分はそれなりに普段は一人で楽しく過ごせると思っています。

同様のタイプの人は朝から公園なんかにはいないだろうから、
あまりそんなことを気にする必要はないとは思うのですが、
最近老後の孤独というテーマはちょっと気になるかな?という感じですね。

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