2025年10月31日金曜日

年金繰下げ受給を後悔への違和感 ~ 早く貰ってたら本当にその分使ったのか? ~

年金繰下げで後悔


年金を繰り下げ受給して後悔する話はネットに溢れていますが、
以下の記事もその中の1つです。

"「70歳を超えて、持病が悪化してね、医者にかかる回数もずいぶんと増えた。もう遠出はしんどくなってきた。これなら健康なうちに年金をもらって、楽しんでおくべきだったよ。それに早死したら意味ないだろ、繰下げたって。年金が増えたって、ろくなもんじゃないよな」” (引用元) FIRE達成者がお金より「社会とのつながり」を求める理由に、思わず納得してしまう
この記事のポイントを要約しますと、

① 65歳で年金受給なら16万円、70歳で受給なら23万円なので繰下げ受給選択
  → 税金等で手取りは思ったより増えなかった

② 体力に自信ありなので70歳まで嘱託で働いた

③ 65歳から年金を貰って楽しむべきだった!と後悔

といったところです。

私はこの記事だけでは繰下げ受給を後悔するべきなのか不明と思いました。
その理由をまとめてみたいと思います。

嘱託の仕事はやりがいがあったのか?


上記の①は単なるリサーチ不足なので無視で良いですが、
私がまず注目したのは②のポイントです。

70歳まで嘱託として働けたというのは、
相当良い会社で働いていたのではないかと推察されます。
仕事にそれなりのやりがいを持っていた可能性もあります。

なので、この方が65歳で仕事を辞めて年金生活に入った場合、
「仕事をしなくなったら暇でやることがなくツライ」
みたいなことを言いだしていた可能性もあったのではないかと思いました。

年金を早めに貰ったらその分使っていたのか?


そして、私が最も疑問に思った点というのは③のポイントです。

この方が65歳で年金受給を開始していたら、
旅行等で楽しい生活を65歳~70歳まで過ごしていたのか?
という点です。

この方の貯蓄額が書かれていないので何とも言えない部分もありますが、
嘱託で働いていたくらいなので、それ程はないと仮定します。

そうしますと、月16万円の年金を貰って、
それを右から左へ使っていたのだろうか?

旅行などには使わず、
”老後の為”に貯金をしていた可能性のが高くないか?
と疑問を持ったわけです。

となると、年金を65歳で貰っていたとしても、
旅行なんかには使わなかったかもな?と思いました。

また、そもそも月16万円では旅行三昧というわけにはいきません。

結構良い人生だったかも?


まあ、私がこの方の立場であれば、
65歳~70歳まで嘱託で働くのは絶対嫌なので、
旅行云々ではなく65歳から年金受給一択です。

ただ、嘱託の仕事にそれなりのやりがいがって70歳まで働き、
それで70歳で体調を崩したとて、
年金額が増額して生活にゆとりができたのであれば、
その後の人生には確実にプラスですから、
結構良い人生だったという解釈も成り立つのではないかと思います。

まあ後悔するポイントがあるとすれば、
65歳~70歳の嘱託期間も休暇くらいは普通にあったでしょうから、
この期間に旅行に行かなかった(かどうかもわかりませんが...)
事くらいじゃないでしょうかね?

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2025年10月30日木曜日

”一度も働いたことがないお婆さん”の老後不安を今になって悟る

一度も働いたことがないお婆さん


大金持ちの子供の中で一度も働いたことがない!
という知り合いは何人かいて、
その知り合いにすべてに共通するのは、
ちょっと話が噛み合わないということで、
良く言えば浮世離れ、
悪く言うと世間知らず、
と言った感じな方々ということです。

彼らの事は時々思い出すこともあるのですが、
これと似たパターンのお婆さんがいたことを突然思い出しました。

働かなかった理由は?


この方は生きていれば110歳くらいで御存命ではないでしょうが、
差しさわりのない範囲でざっと属性を述べるとこんな感じです。

① 父親は資産家で地元の有名人 
② 就職・結婚はせず親とずっと同居
③ 父親亡きあとは父の遺産で生活

このくらいの年齢の女性の方は、
学校をでて就職はしないで家にいて、
結婚したら家を出るみたいな方も多かったでしょうが、
純粋に稼業も手伝わずに親の稼ぎ・遺産だけでずっと暮らすみたいな人は、
あまりいなかったように思えます。

そしてこの方も前述の大金持ちの子供達と同様、
話が全く嚙み合わない人でした。

それに加えて、資産家なのに恐ろしくケチという特徴がありました。

70代でおそらくは億近い貯蓄があったので、
もっと悠々自適に生活できるはずなのに、
家(父親の建てた一軒家)の修理もせずに超緊縮で暮らすさまは、
当時20代の私には単なる超ドケチにしかみえませんでした。

老後不安を考えればケチも今ならわかる


ただ、50代後半になってセミリタイア生活を過ごす今の私から見ると、
まあ、その心境はわからんでもないかな?という感じになってきました。

年金は国民年金だけで資産取り崩しがメインの収入となれば、
寿命を予測するのは不可能なので緊縮生活になるのもやむを得ないです。

それに加えて、働いた経験もなく、
また、70代という年齢を考えれば、
いざとなれば働くというオプションも取れません。

今の私は年金支給開始まで手元資産で生き延びることはできそうで、
年金受給後は年金の範囲で暮らせそうで、
いざとなれば働くというオプションもあるということで(行使はしたくないが...)、
余裕をかました生活をしていますが、
これが「手持資金だけが頼り」だと相当けち臭い生活になっているでしょう。

私のサラリーマン時代には嫌な記憶のが多いとはいえ、
こういった方の老後を思い出してみると、
サラリーマン時代の苦労も致し方ない部分もあると言わざるをえないですね。


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2025年10月27日月曜日

FIRE準備期間中の”思い出作り”は重要か? ② サラリーマン時代の旅は気分転換に留まる

サラリーマン時代の旅行は気分転換


サラリーマン時代に1週間程度の旅行に行けたところで、
常に仕事が気になったり、実際に仕事の電話が掛かってきたりするので、
休暇の質的なモノを言えば心の底から楽しめるものではありません。

とは言え、そのような不完全な休暇とてないよりは遥かにマシで、
こういった気分転換がなければ、
FIRE達成前に心が折れていたかもしません。

ただこういった休暇というのは、
「思い出作り」というよりは「ただの気分転換」と言った色彩が強いですね。

近場のアジアのビーチでのんびり止まり


実際にFIRE準備期間中に行った旅行の多くは、
タイのビーチでのんびり止まりと言った感じで、
これに街歩きや遺跡が加わる程度です。

年に実質的に1回しかない休暇なので外すわけにはいかない、
また、欧米は遠すぎて移動だけで疲れる...
となれば、同じようなビーチ休暇と言う感じになりました。

もちろん、そういった休暇でもそれなりに懐かしく思い出すことはありますが、
「思い出作り」とまでは行かないかな?

例えば、この流れで65歳とか70歳まで働いたとしたら、
もっと色々と旅行に行っておけばよかった!
と後悔する可能性が高かった気が致します。

FIRE後の旅行はまさに「思い出作り」


私はFIRE後に1ヶ月程度の南欧旅行に行きましたが、
これなどサラリーマンでは日程的に絶対に無理な旅行で、
一つ一つの都市での滞在が思い出となって沁みついています。

これだけで正直、FIREした価値はあったな~という感じです。

サラリーマン時代にも南欧に行ったことはありますが、
9日間の休暇で丸3日は移動で潰れて、
滞在中は時差ぼけが続いて慣れたと思ったら帰国、
そして帰国後は再び時差ぼけのまま労働へ戻ると言う感じですから、
やはり楽しむといっても限界があったな~
というのをしみじみと感じましたね。

そんなわけなので、
FIRE準備期間中の思い出作りはそもそも限界あり、
真の思い出作りはFIRE後に、
ただ、サラリーマンも気分転換は重要なので、
年一程度の海外旅行は必須!
というのが、私個人の結論となるかな?と言った感じです。

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2025年10月26日日曜日

FIRE準備期間中の”思い出作り”は重要か? ① サラリーマン時代は心から楽しめる時間はないが前提

若い内にお金を使うべきか?


FIRE・セミリタイアを考える上でよく問題になるのが、
若い内にお金を使うべきか?
それとも、なるべく早くリタイアする為に節約すべきか?
というテーマです。

この問題を考える上で興味深かった記事がこちらです。


この方、子供の教育費だけはケチらなかったようですが、
外食やレジャーはケチりまくり、
リタイア後の旅行もケチって行かない内に、
身体が悪くなりお金の使い道がなくなったというものです。

まあ、こんなケチなおじさんがどうして結婚できたのか?
いや、そもそも結婚しようと思ったのか?は別として、
妻や子供に思い出の1つも残さないのは問題ではないかと思います。

FIRE準備期間の思い出作り


一方、独身者であるならば、どれだけケチろうが他の人に迷惑はかけません。
この点を踏まえて、FIRE希望者が若い内に思い出作りを優先すべきか?
それとも、そんなことは後回しで全力でケチって早期リタイアを目指すべきか?
この問題について考えてみたいと思います。

私が重視するポイントは以下の2つです。

① サラリーマン時代は何をしても心から楽しめない
② とは言え、気分転換的にもたまに旅行などは重要

まずは①について述べてみたいと思います。

サラリーマン時代に置かれていた状況


FIREやセミリタイアを目指す人と言うのは、
仕事が相当嫌であることは間違いないかと思います。

さて、そこまで仕事が嫌な人と言うのが、
3連休だ夏休みだと心の底から楽しめるのか?
いや無理でしょう...というのが私の考えです。

私も会社のPC持参で海外旅行に行ったり、
旅行中も毎日メールチェックを命ぜられたりした時もあります。

また、運よく何も課題がない状態で旅行に行けたとて、
携帯電話は常に通話可能で身に着けていなければならず、
実際に電話がならなくても気分は悪いです。

FIRE後の旅行の解放感


実際に、FIRE後にも何度か海外旅行に行っておりますが、
解放感的なものは段違いと言えますね。

サラリーマン時代の休暇はニセモノの休暇とでもいうべきか...
という感じなので、
基本的なスタンスというのは、
なるべく早くFIREを目指して、
FIRE後に旅行を楽しむのがメインで良いかと思います。

しかしながら、旅行に一切行かないとかは極端な話で、
不完全な休暇と言えども、
年に一度くらいは旅行くらいは行った方が良いとは思います。

この点は次項に述べたいと思います。

2025年10月25日土曜日

【譲られる側?】年齢より老けて見える50代後半・座席を譲るのも難しくなってきたかも?

座れない電車に乗る機会は激減したが...


セミリタイア生活に入ってから、
朝のラッシュ時間帯に電車に乗る機会はほぼなくなりました。

これだけでもセミリタイアした価値はあるな~
としみじみ思いますね。

そんなわけで、電車に乗る際は基本的には座れる時間帯なのですが、
近場の散策で電車を使って外出した時など、
帰宅時間帯のラッシュに遭遇することがあります。

その際、なかなか難しい問題なのが、
座席を譲ると言う問題です。

座席を譲られる年齢に近づいている


私は50代後半という年齢であり、
高齢を理由に座席を譲られた経験は今のところありません。

ただ、実年齢より10歳とか老けて見られた場合、
65歳以上の高齢者に見られるということで、
座席を譲られるなんてことが近々あるかもしれませんね。

でも、実際に座席を譲られたとしたら、
軽~くショックは受けるかもしれません。

ただそれはさておき、
私が座席を老人に譲るとかする場合、
「いやいや、あんたも老人だろ!」
みたいに思われる可能性を考えると、
なかなかこちらから席を譲るというのは難しくなってくるのかな?
と思うところはあります。

座席を譲ろうとして断られる2連発


そのような事を普段漠然と考えているわけですが、
先日、帰りの電車で座席を譲ろうとして断られるケースを、
2連発で目撃しました。

最初は杖をついたお婆さんが乗車してきて、
優先席の若者がさっと立ったのですが、
「あ~、次降りるからいいわよ!」
と面倒くさそうに断っていました。

まあ、2~3分であれば、
一度座ってもう一度立つ方が身体に負担があるともいうので、
もうちょい愛想よく断れないかとは思うものの、
まあ理解できる話ではあります。

そして、次はヘルプマークをつけた若者が、
私の座る座席(優先席ではない)の斜め前に来た話になります。

その若者ですが、高身長で引き締まった身体をしており、
ヘルプマークがなければ普通のアスリートのように見えます。

私は席を譲った方が良いものなのか?
いや、恐らく年齢が倍以上の私に席を譲られるのは気分はよくないかも?
などと考えていたら、お隣りの40代くらいの会社員風の男性が、
「座りますか?」
と声を掛けました。

すると男性は、
「あ、大丈夫です!」
と断っていました。

断り方も慣れた感じだったので、
座席を譲ってもらうタイプの障害等ではないものと推測できました。

座席を譲る人は多い


まあ、最近の私の経験の範囲内ではありますが、
基本的に困ってそうな人に座席を譲る人は多い印象で、
困っている人がほったらかしみたいなケースは最近見ないですね。

とは言え、優先席でスマホに夢中みたいな若者もまだまだ多いので、
自分としても座席を譲る準備だけは60歳過ぎてもしようとは思いました。

2025年10月24日金曜日

FIRE生活の大敵・訪問販売が復活の兆し?

コロナで絶滅したと思っていたが...


コロナショックで絶滅したと思っていた訪問販売ですが、
ここのところ増えてきた印象があります。

私の住む集合住宅はオートロックなどという高級なものはないので、
こういった連中が出入り自由になっているので困ります。

基本は無視だが...


訪問販売など基本は無視するのですが、
宅配便を待っているタイミングなどで、
ついうっかりと応対してしまうことがあります。

先日は野菜宅配の訪問販売が来た際、
郵便配達員みたいな格好をしていたのでうっかり対応、
しつこい勧誘で怒りがしばらくおさまらなかった感じです。

食事 & 昼寝を妨げられる


というのも、彼らの来る時間帯で一番多いのは、
12時台や19時台という食事の時間帯で、
食事が妨げられるのは特にむかつきますね。

また、午後の時間帯も多くて、
私の貴重な昼寝が妨げられることもしばしばです。

新政権もできたことだし、
この辺の規制も強化して頂きたいところです。

戸建てだと居留守も使えない?


ただ私など居留守が使えるだけマシと言う感じだと思うのが、
戸建てが並ぶエリアを散歩している時ですね。

先日は都内某所の比較的高級な住宅が立ち並ぶエリアを歩いていたら、
チャラい若者2人組が浄水器の訪問販売をしていました。

玄関から中が見える構造だと居留守も使えず、
インターフォン越しにしつこい勧誘をしていて、
見ているだけでこちらも怒りが湧いてきました。

この辺りを考えるとセキュリティのしっかりしているマンション暮らしが一番かな?
と改めて思いましたが、まあそう簡単に引越せるはずもないので、
ちょいと対策を考えなければいけないと思いましたね。

2025年10月23日木曜日

成功者のFIRE批判は参考にならない? ~ FIREへ至るプロセスが違い過ぎる!~

FIRE達成者は結局仕事の場に戻ってくる?


FIRE後に仕事に復帰する人は多いみたいな文章は多いですが、
ここまで断言するのは珍しいかな?と思った文章が以下の文章です。

"宇根さんの著書『最後に勝つ投資術』を拝読して、特に最後の章に深く共感しました。それは、FIRE(経済的自立と早期リタイア)を達成した人が、結局は再び仕事の場に戻ってくるという点です。
 資産を十分に形成して、あとは遊んで暮らせば良いと考える人もいるかもしれませんが、それでも社会的なつながりや一定の責任を持ち続けたいという価値観は、多くの方に共通するものだと感じ、非常に興味深く読ませていただきました。” (引用元) FIRE達成者がお金より「社会とのつながり」を求める理由に、思わず納得してしまう
FIREして仕事に戻る人は一定数いるとは思いますが、
そもそもそれが多数派であるのも疑わしい中、
FIREした人がみんな仕事に戻るみたいな論調はちょっと違和感がありますね。

ただし、FIREに至る前提や推定資産額などを考えると、
この方の思考にもなるほどと思う部分はあります。

”仕事で社会貢献”は魅力だとは思う


このように感じた一番の理由は以下の文章の文章にあります。
”その根底にあるのは、40歳を過ぎて、今後の人生や時間の使い方を真剣に考えたことです。自分の生活レベルを大きく上げなければ、ある程度安定した生活は送れるようになったとき、「せっかくこの世に生まれてきたのだから、何か人様のお役に立ちたい」と、少し青臭いことを考えたのです。全く新しいキャリアをゼロから始める選択肢もありましたが、これまで投資の世界で蓄積してきた経験や知識を活かすほうが、より社会に貢献できるのではないかと思いました。”
私は同じような気持ちになったことは一度もないですが、
この方のご主張には噓偽りはないものと感じました。

仕事で成功をおさめて、その仕事が他人様のお役に立ち感謝される、
そしてそれなりの多額な報酬を得るともなれば、
仮に仕事を一旦離れても元に戻りたいみたいな願望が芽生えるというのは、
よく考えれば理解できることではあるからです。

FIREへのプロセスが違い過ぎる...


ただ、多くのFIRE民にとっては、
FIREに至るプロセスからして全然違うと思います。

私はそもそも、自分が従事している仕事で「社会に貢献している」
という実感など感じたことはありません。
とにかく、このシンドイ仕事から逃れたい!
という感情が一番強かったかと思います。

そして、FIREして社会貢献に目覚めたとしても、
私の仕事上の実績・経験で社会貢献できる仕事に新たに就けるか?
と言えば、まあ無理です。

そりゃ~人手不足の今の時代ですから、
募集しても誰も応募しない仕事にでも就けば「社会貢献」になるかもしれませんが、
ちょっと文脈的には違いますよね?

ギリギリ億り人レベルだと余裕はないかも?


もう一つ推測するとすれば、
”なぜ“億り人”は再び仕事に戻るのか?”
という最初の文章がミスリードかも?と思いました。

どういう事かと言いますと、
ギリギリ億り人だと準富裕層と富裕層の境界線上くらいです。

インフレの進んだ昨今ではそこまで余裕のある生活はできないので、
本当に安定した生活が未来永劫過ごせるかは微妙ということもあり、
社会貢献云々というところまで思考は行かないかな~と思ったわけです。

これが5億円以上の超富裕層くらいになれば、
生活に余裕もあるでしょうから、
社会貢献云々という話になっても不思議ではありません。

準富裕層レベルのFIREには参考にならない?


これらの考えをまとめてみますと、
私がFIRE関連の文章を読ませて頂くボリューム層である、
普通のサラリーマン出身で準富裕層レベルでのFIREであれば、
著名な経営者や評論家のFIRE話は前提条件が違い過ぎて、
あまり参考になる部分は多くはないのかな?
ということですね。

まあ、彼らから見ると準富裕層レベルのFIREは、
そもそもFIREですらないと思われてる可能性も高そうです。

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2025年10月22日水曜日

FIRE後の「暇」についての違和感 ③ 忙しいのが嫌でFIREしたのに暇って悪い事なの?

FIRE後は暇と言えば暇なんですけど...


これまで申し上げてきたことをまとめますと、

① FIRE後は家事をこなすだけでも結構忙しい
② 趣味は飽きることはなく、色々な事に興味がでてくる

と言った感じになるので、
FIRE後に暇で困るみたいな感覚はないかな?
と言ったところです。

ただそうは言っても、
家事など手を抜こうと思えばいくらでも抜けますし、
趣味に費やす時間などはまさに自分の裁量次第です。

なので、サラリーマン時代のように会社に縛り付けられ、
締切時間が設定される仕事に追われると言う意味での忙しさはないので、
絶対にやらなければいけないということがないという意味においては、
FIRE後は暇と言えば暇だと言えます。

忙しいのが嫌でFIREしたのでは?


さて、ここで私が根本的な疑問を抱くところなのですが、
「暇」というのは悪い事なのでしょうか?

そもそも、FIREしようと思ったのは、
「仕事が忙しすぎるから」
というのが一因の方は多いかと思います。

ところが、いざ仕事を辞めて、
ノルマも締切もなくなって嫌な事を一切する必要がなくなると、
暇でツライみたいなことを言いだす...

そして、あれほど嫌だったはずの仕事のなぜか良い面だけを思い出して、
「仕事で人から感謝される喜び」
「人とのつながりを求めて」
といって労働に復帰するというのが、
多数派みたいに語られるのはかなり疑わしいと思うのですね。

暇であることのヨロコビ


私は退職してから7年以上が経過していますが、
今でも朝起きて予定がないと言う状況に、
至福のヨロコビを感じることが多いですね。

今日何をするかについては、
とりあえず朝ごはんを食べて、
スポーツジムで朝風呂に入りながら考える...
という感じであって、
「今日も暇でやることがない...どうしよう!」
みたいな発想になるのはちょっと理解に苦しむ感じですね。

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2025年10月21日火曜日

FIRE後の「暇」についての違和感 ② ”趣味が一つですぐ飽きる”はやはり変

FIRE後に趣味に飽きる...


私の実体験を踏まえて申し上げますと、
趣味に飽きて暇というのは違和感があります。

この問題を考えるのに丁度良い記事がありましたので、
これに沿って考えてみたいと思います。


この方はFIRE後にスキー三昧の生活をするべく長野県に移住、
しかし、スキーシーズンが終わったら時間が余って困った!
そして、働き始めて新しい人生へ...というよくあるパターンになります。

趣味が一つですぐ飽きる?


まず第一にオカシイ点ですが、
スキーは春が来ればできなくなるのは明らかなのに、
春になったらいきなり時間が余って困ったと言っていることですね。

長野県に移住までする人が、
春~秋までのスキーオフシーズンの事を考えていないというのは不自然です。

この手の記事では趣味が一つしかなくて、
FIRE後にそれに飽きるのが定番ではありますが、
実際には趣味は一つではないでしょうし、
また、趣味が短期間で飽きるというのも考えにくいです。

趣味は飽きるというよりズレる


それでは私がサラリーマン時代に思い描いて通りの、
趣味三昧のFIRE生活を過ごしているか?と言われれば、
それはちょっと違うというのが現状です。

例えば、旅行については年に2~3回は海外旅行へ!と思っていましたが、
今は年に1回程度で十分、ただ、その分より豪華な旅行がしたい!
という風へ変化しています。

また、普段の趣味の読書についても読みたい本の内容が、
当初予定の現代国内ミステリー中心から古典海外ミステリー中心へ移行しており、
これなど全く想定していなかった変化です。

こういったことを考えてみますと、
趣味は飽きるというよりはズレるという感覚で、
計画通りではないが、ある意味、計画以上に楽しめている、
というのが正解ではないかと思います。

「趣味を楽しむ」などと大上段に構えなくても


それともう一つ申し上げたいのは、
「趣味を楽しむ」などと大上段に構えなくても良いということです。

例えば、10月10日と14日にサッカー日本代表の試合がありましたが、
無職のFIRE民なら余裕でTV観戦が可能です。

しかしサラリーマンであれば、
夜7時に家に帰るのは一苦労、
いや、絶対に無理と言う人も多いかと思います。

こういった見たいTVがリアルタイムで見れるだけでも、
サラリーマン時代に比べれば、
それなりに充実した生活だと思いますがいかがでしょうか?

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2025年10月20日月曜日

FIRE後の「暇」についての違和感 ① 家事だけでも結構忙しい

FIRE後に暇を訴える人は多いが...


FIRE後に暇を訴える人は多いです。
私もまあ暇と言えば暇なわけですが、

「暇すぎてツライ」
「暇だからやっぱり働こう」

ということにはなりません。

何故ならないのか?について多少真面目に考えていきますと、
暇すぎて働き始めたみたいな記事に対して、
リアリティがないな~と思うようになります。

この辺について今回は触れてみたいと思います。

「料理・掃除・洗濯」だけでも時間を取られる


まず第一に、サラリーマン時代に家事に取られていた時間、
この辺りを振り返ってみることからスタートします。

普通の独身サラリーマンであれば、
月~金に家事をする気力や時間はないかと思います。

なので、土日にまとめてやる方は多いと思いますが、
真面目にやると結構な時間が取られるので、
それすら相当な手抜きをされる方が多いと思います。

この所要時間を基準にするから、
FIRE後は暇という発想になるのでは?
というのが私の仮説になります。

FIRE後に関しては気持ち的にも時間的にも余裕ができますので、
私個人の経験で言えばそれなりに丁寧に家事をこなすようになり、
サラリーマン時代よりこの手の活動に時間を使うようになります。

特に節約系の方で毎食自炊の方などは、
料理の時間だけでも相当な時間がとられるでしょうます。

これだけでも随分と時間がとられますので、
「暇すぎてツライ」みたいにはならない気が致します。

買物にも節約&こだわり


また、買物活動にもFIRE後は大きな変化があります。

サラリーマン時代は駅と自宅の間にあるスーパー一択で、
高いも安いもない感じで買物を済ませてきました。

ただFIRE後は時間に余裕がありますので、
トレーニングも兼ねて遠方の安いスーパーに行ったりもします。

またそれ以上に、品揃えが各店舗によって異なりますので、
用途によって店を使い分けるとかするようになります。

そう言えば今日は20日なのでウェル活の日ですね。
私は自宅から5Km程離れたウエルシアに自転車で行きますが、
恐らく2往復するので結構な時間を使うことになります。

家事だけでもそこそこ忙しいFIRE民


この辺りを総合的に考えますと、
FIRE民は家事だけも結構忙しいというので、
「そんなに暇だっけ?」
という気持ちになる人は多いのではないかと思います。

まあ、効率的に家事をこなしている方から見ると、
異論反論は多々あるかとは思いますが、
個人的なFIRE生活の実感を述べさせていただくとこんな感じになります。

2025年10月19日日曜日

シニアが健康維持の為に働くは違和感 ~ そもそも普通のサラリーマンは健康じゃないですよ... ~

60歳以上が仕事をする理由は「お金」


昨日の記事でもうひとつ気になったのは、
”60歳以上の人が 「仕事をしたい理由」とは”
という箇所なのですが、結局「お金」でしょ!
と以下を見て思いました。

"1位は「生計の維持のため」(41.9%)、2位は「健康維持のため」(38.0%)、3位は「自由に使えるお金(お小遣い)の確保のため」(34.7%)、4位は「社会とのつながりを得るため」(32.5%)、5位は「家計を補助するため」(31.5%)。この5つの回答が特に多かった。” (引用元) 「役職なし・給与激減」それでも60代が働き続ける“リアルな理由”とは?【調査で判明】
1位と3位と5位は結局お金の話であって、
何が違うのかよくわからない部分があります。

健康維持のため働く!は本当か?


そして、4位の「社会とのつながりを得るため」はわからんではないですが、
2位の「健康維持のため」というのは全く理解できないですね。

最近同世代の人と健康について語る機会があったのですが、
私が健康診断の数値が劇的に改善したのは、
サラリーマンを辞めたことが大きいと申し上げました。
私が述べたのは、

・仕事上の過度なストレスはゼロへ
・往復の通勤電車のストレスはゼロへ
・1日8時間以上机に縛られていることがなくなる(腰痛改善)
・嫌な飲み会ゼロでストレスと肝機能の大幅改善
・睡眠時間の確保

といったところです。

記事では
”現実問題として仕事をしないと健康を維持できない、ひきこもりになってしまう、社会とのつながりがなくなってしまう、時間を持て余してしまう、といった不安やリスクがあることがわかる。”
とサラッと書いてありますが、
仕事をしないと健康維持できないは私の経験とは真逆です。

健康を取り戻すためにも早期退職


むしろ、サラリーマンを続けている間は健康でいられない!
というのが正解だと私なんかは思いますね。

この記事を書いていて徐々に思い出してきましたが、
サラリーマン時代の私は常に胃が重い状態で、
なおかつ、お腹も壊しているのがほとんどでした。

こういった健康状態が会社を辞めただけで正常化していった経験からも、
健康を維持するために仕事をするのではなく、
健康を取り戻す為にも早期退職のが理にかなっているのでは?

そもそも、「健康を維持」という言葉がおかしいんですよね。
だって、普通のサラリーマンが健康ですか?
周りを見渡したら、酒の飲みすぎで顔色がいつも悪い人とか、
何かしら健康上の問題を抱えている人がほとんどではないでしょうか?

なので、この前提が間違ってはいませんか?
と私なんかは思うのですが...

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2025年10月18日土曜日

役職を降りる前にFIREが基本では? ~ ポストオフを美化するのは危険! ~

ミドルシニア世代のポストオフ


ミドルオフ世代で役職がはずれたら給与はダウン、
でも良いこともありますよ!という類の記事を読みました。

ただ、私がFIREもせずに未だ働いていれば、
まさにこの世代なのですが、
かなり私の感覚とは違うよな~と思いまして、
特に以下の文章はポストオフを美化しすぎでは?と思いました。

"大きくやる気が失われた一方、重責から解放され挑戦や発言しやすくなった、優しい気持ちを言葉にしやすくなったといった回答も見られ、役職者として担う責任の重圧や、それゆえの張り合いの大きさ、それらから解放されて生まれる余裕や空白の大きさがうかがわれる。” (引用元) 「役職なし・給与激減」それでも60代が働き続ける“リアルな理由”とは?【調査で判明】
重責から解放はその通りかもしれませんが、
挑戦や発言しやすくなる!はないかな~と思いました。

ルーティン化した仕事しかないのでは?


役職定年とかになって一課員となった場合、
与えられる仕事は若手と同じような仕事になるというのが、
私が置かれていた状況かと思います。

なので仕事はルーティン化したものが中心で。
挑戦できるような機会がある仕事ではなかったと思います。

更に異なるのが「発言しやすくなる」ではないかと思います。

私は実質的に降格のような扱いを受けた時、
重要な会議にでなくてよくなりました。

既にセミリタイアを固く決意していた私にとっては、
相当ラッキーだったのですが、
これからバリバリ出世を目指すなら大ショックだったかと思います。

役職定年者とかに発言の機会とかあるのか?
そりゃ、班や課の会議とかではあるでしょうが、
重要会議などはそもそも出席すらできないのでは?
ということを考えてしまいました。

部長クラス以上の出世なら状況はやや異なるが...


私が色々とこの手の話を聞いていると、
部長職以上に出世した方には、
挑戦する機会はあるようです。

例えば、大手金融機関で部長職まで勤めあげて、
取引先に出向して辣腕を振るうみたいなケースです。

ただその場合、引き続き重責を担う必要があるので、
上記のケースとは異なると思いますし、
該当者は極めて少数になるでしょう。

役職を降りる前に早期退職が基本!


まあ、役職定年になって重責から解放、
給料は半減するが仕事も半分で楽!
とかなら良いですが、そんなことはないでしょう。

むしろ、単純に拘束時間だけ考えたら増えるとか、
細々した雑用的なものが増えるとかが想定されます。

現に、私の知人ベースで見てみますと、
50~55歳より55歳~60歳の方が忙しくなっている人が多いですからね...

この辺の事情を改めて考えますと、
役職を降りる前に早期退職をして良かったと改めて思うわけですが、
記事にあるように、
「ポストオフで得たものも大きい!」
みたいなケースは多いのでしょうかね?

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2025年10月17日金曜日

近所で老舗飲食店の閉店が相次ぎ、日本在住外国人向け飲食店が増えている件

老舗飲食店の閉店相次ぐ


当ブログでは同様の事を何度が書いておりますが、
ここのところ馴染みのある飲食店の閉店が相次いでいる感じです。

久しぶりに行こうと思っていたとんかつ屋さんが閉店、
お店に貼ってあった案内だと50年間続けたお店だったとのこと。

そのちょっと前には、行きつけだったからあげ屋さんが閉店、
こちらも15年近く営業を続けていたお店です。

新規オープンするお店は?


とんかつ屋さんは閉店したばかりでこの後どうなるかは不明ですが、
からあげ屋さんの後には中華系居酒屋がOPENするようです。

実はたまたまですが、閉店後に内覧する方を見たのですが、
業者も内覧者も中国語で喋っていました。
今話題の中国人オーナーの物件なのかもしれません。

そして開店するお店というのも、
恐らくは在住中国人向けの居酒屋ということになりそうです。

私個人の利便性は大幅に減少中...


私の家の周辺ではこの手の外国人向けのお店が増えていますね。
これらのお店というのは日本人を全く相手にしていないので、
店内表示が中国語しかなかったり、
普通の日本人は見たこともない食材が売っていたりします。

こういったお店が増えても私の利便性は一切向上しませんが、
馴染みの飲食店が少しずつ閉店していくというのは、
私のセミリタイア生活にとってはかなりの痛手という感じです。

お手頃な定食屋とか町中華とかが新規オープンするなら嬉しいのですが、
そういったお店は店主の方が引退されるとそれで終わり...
と言う感じなのでしょうね。

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2025年10月16日木曜日

”フリーランス幻想の終焉”は”前向き系サイドFIRE幻想の終焉”でもあるのでは?

フリーランス幻想の終焉


フリーランスをもてはやす言説が多い印象の昨今、
実態的にはフリーランスから会社員に戻る人が増えている!
という記事を興味深く拝読致しました。

そして、結論的には以下のように結ばれています。

"常に能動的に仕事を取り、自分の専門性を磨き続け、クライアントと対等に交渉できる人。そうした活動が息を吸うようにできる人にとっては、フリーランスは「自由と裁量の楽園」である。結局のところ、フリーランスが天国に感じられるのは、ごく一握りの人間に限られるのだ。” (引用元) フリーランス幻想の終焉、会社員に戻る人が増加中
私はこの文章を読んで最初に思った事は、
ある種の前向き系サイドFIREも危ういのではないか?
ということですね。

前向き系サイドFIREとは?


サイドFIREを名乗る人はレンジが広く、
普通のサラリーマンと同じくらい働いている人から、
ほぼ労働はしていない人までいらっしゃいますが、
ここで私が言う”前向き系サイドFIRE”とは以下のようなケースです。

・完全FIREをするだけの資産はない

・不足分の資産を補う労働はするが、
 会社等の組織で働くことは一切せずに、
 自分がやりたい仕事だけをフリーランス的にすることしかしない

・これにより、「ゆとりある生活」と「仕事のやりがい」
 を両立させる

私はこのようなライフスタイルは極めて困難ではないか?
と思っていましたが、本項を読んでその思いを強くしました。

「スキルアップ」と「営業」


記事ではフリーランスはスキルアップが難しいことが、
以下のように書かれています。
”毎日の業務は「今のスキルで稼ぐこと」に追われる。新しいスキルを身につけるためには、仕事の合間に勉強時間を確保しなければならない。”
サイドFIREで時間にゆとりがあると思いきや、
このようなスキルアップに要する時間を考えると、
全然生活にゆとりがなくなるリスクは高いと思います。

そういえば、こういったスキルをキープするとかアップするとか、
この辺りにどのくらいの時間を割いているかについて触れている方は、
私の知る限りは見たことがないですね。

また、もう一つはどうやって仕事を取るのか?ということですが、
これについても以下のように述べられています。
”さらに、自分より少し上のレベルの案件を取りにいくには、営業力・交渉力・信用といった“経営資源”が不可欠である。”
黙っていても仕事が舞い込んでくる人以外は、
仕事を取るための営業力が必要かと思いますが、
新規で仕事を取るための営業をするとか、
私は考えただけでも眩暈がしますね。

仕事が全くなくてもOKならありだが...


本稿を読んで、例えばサイドFIREで週2~3日だけ好きな仕事を稼ぐとかが可能なのは、
極めて限られた人だけではないか?という印象は更に強くなりました。

ただ新たな発見として、
それとて新たなスキルを身に着ける等々で使う時間や、
新たなクライアントを獲得する為に費やす労力や時間を考えますと
本当にゆとりある生活なのかは疑問かもしれません。

まあ本来は完全FIREをするだけの資産があって、
仕事はあればするけどなければしないだけ!
みたいなスタンスならありかもしれませんが、
それだと「仕事のやりがい」からは遠ざかるでしょうね...

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2025年10月15日水曜日

30代でマンション買っておけばよかった? ~ コスパ的にはそうだが、ちょっと違うかも... ~

30代でマンションを購入していたら...


ちょっと前に以下のブログを書いて、


昔住んでいた家を見て、
その物件を仮に買っていたら...
ということについて雑感を述べました。

今回はそれと似た話ではありますが、
私は30代でマンションを買おうと思った時期もあって、
その際の有力エリアだった場所の近くに行って、
「あの時マンションを買っていればどうなったか?」
ということをしばし考えたので、
その内容について述べてみたいと思います。

物件購入のメリット・ディメリット


当時の私は東京23区の端っこに住んでおり、
物件を買うなら(予算的に)もう少し都心からは離れたところが良いかな?
と思っておりました。

当時の最寄り駅から10分程電車で離れて隣県に入ると物件も安くなり、
このエリアなら買えないことはないかな?
と思って、現地を何度か実際に訪れました。

今振り返って、仮に物件を購入していたら!の
メリット・ディメリットは以下の通りではないかと思います。

【メリット】

・60歳くらいでローン完済で自分名義の物件を入手、
 トータルでの住居コストを削減できた可能性が高い

【ディメリット】

・サラリーマン時代に通勤時間がプラス10分はかなりきつかったと思う
・今その場所に住みたいか?と言えばかなり違う

【不明点】

・管理費&修繕積立金を考慮しても本当に得だったか?
・大規模修繕等々で予期せぬ出費が発生する確率はどのくらいか?

コスパ的には得だった確率が高い


コスパを考えれば、やはり物件購入が得だったかな?
とは思います。

ただ、上記に赤字に記載しましたように、
今その場所に住みたいか?と言われれば、
やはりちょっと違うかも...という要素が自分的には一番強いですね。

今住んでいる場所に比べれば、
医療機関・商業施設の充実度や都心へのアクセスと言った利便性は劣ります。

まあ今のところ、経済的には人生逃げ切れると思っていますので、
好きなところに引越せる今の状態というのが、
コスパ以上に価値があるように思えるというのが、
今のところの結論ですかね?

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