FIRE的ライフスタイルは好きになれない
大手銀行の常務取締役まで出世された方がFIREを批判されていました。
そして、最後は以下のように結ばれていました。
"とどのつまり、日々の仕事をやめたあとに何がしたいか、自分で知っておかなければならない。やってみたいとずっと思っていた何かがあり、それが有意義なことであるなら、それを目指せばいいだろう。しかし、将来の楽しみが何も思い浮かばず、自分の使命がわかっていないのなら、今の仕事にとどまったほうがいい。仕事をやめなくても、興味を追い続けることはできるのだから。” (引用元) 大手銀行の取締役だった私は早期退職したが、FIRE的ライフスタイルは好きになれない(海外)"
前半部分のやってみたい何かがあれば目指せばいいは同意ですが、
後半部分の「仕事をやめてなくても、興味を追い続けることはできる」
というのは自分の感覚とは随分と異なります。
サラリーマンの限界
私がFIRE的ライフスタイルを目指すことになったのは、
この方の認識とは真逆であって、
仕事を辞めなければ興味を追い続けることはできない!
と思ったからと言えます。
まず、私のしていた仕事は自分のやりたい事とはかけ離れており、
その仕事に関係することだけで自分の時間の大部分が消費されていました。
私はこれを「無駄な時間」と認識していました。
それでも、仕事が9時~17時で確実に終わり、
会社から自宅まで5分で帰れて、
それ以降は肉体的に疲れもなく趣味に没頭できるとかなら良いですが、
実際は残業もあり、帰宅する頃にはヘトヘトとなっていました。
せめて土日は普通に休めれば...ですが、
これとて繁忙期はその限りではありません。
この辺を考えると、とにかく仕事を辞めない限りは、
自分のやりたいことなどできないな...とサラリーマン時代は考えていました。
明確なのは「この仕事じゃない!」と言う事
また筆者は、
”将来の楽しみが何も思い浮かばず、自分の使命がわかっていないのなら、
今の仕事にとどまったほうがいい"
とおっしゃいますが、そうでしょうかね?
毎日映画を見るとか、好きなだけ寝るとかだけでも、
十分将来の楽しみとして合格だというのが私の意見の第一です。
要は、将来の楽しみが何も思い浮かばないなんてことはまずないということです。
そして、「自分の使命」みたいな大上段に構えたことはあまり考えたことはないですが、
一つだけ言えることは、サラリーマン時代にやっていた私の仕事、
これは明らかに「自分の使命」ではなかったということですかね?
この仕事の延長線上には自分の目指すものもなく、
転職で夢を実現するとかも年齢的に困難となれば、
FIREくらいしか人生の打開策は思いつかなかった...
というのが私の最終的な結論になるかと思います。
私のFIREしている知り合いはすべて仕事がきつくて嫌なのでFIREしたっていう人達です。逆に、FIREを目指してたけど、転職先がホワイト企業でFIREを止めたという人もいます。その人曰く、今の会社に入るまで、日本にはブラックな会社しか存在しないと思ってたそうです。
返信削除ホワイト企業へ転職できればFIREをする必要性は確かになくなる部分はありますね。ただ、ホワイト企業にもブラックな上司はいるでしょうから、この辺は運も大きく左右する気が致します。
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