2024年9月20日金曜日

仕事にやりがいでFIRE希望者はゼロに? ① 誰もがやりたい仕事に就くなんて不可能

仕事にやりがいがあればFIRE願望などなくなる?


誰もが仕事にやりがいを持てば、
FIREしようなんてヤツも現れないし、
非婚化や少子化も解決できる!という事を提唱している方がいらっしゃいました。

" だがこのややこしい部分に、隠されたキーがある。つまり仕事にやりがいがあれば、誰もさっさと金を貯めて仕事なんか辞めてやるみたいな考え方にはならないのである。さらにやりがいを持って働いている人は、人間的にも魅力的で輝いており、恋愛対象にもなりやすいと考えられないだろうか。少なくとも男女問わず、1日もはやく辞めてやるという気持ちでいやいや金のために働いている人を、生涯のパートナーとしては選ばないだろう。
 つまりすごく単純な話、みんながそれぞれにやりがいのある仕事に就いて輝いていれば、非婚化や少子化には進まないという仮定は成り立つのではないか。ならば社会が取り組むべきは、「人」と「やりがいのある仕事」のマッチングだろう。やりがいとはそれこそ人によりけり千差万別であり、ある人にはつまらない仕事でも別の人にはやりがいを感じることは十分にあり得る。 (引用元) 「FIRE」する人が増えたら社会はどうなる? 労働力はAIでまかなえるのか"
ここで書かれている事はその通りと唸る部分もあるのですが、
私は読んでいて違和感を感じる部分もありました。

「つまらない仕事」は誰がやっても「つまらない」?


記事内では、

”ある人にはつまらない仕事でも別の人にはやりがいを感じることは十分にあり得る。”

とあり、この事自体は事実なんだろうな...とは思います。

ただし、多くの人がつまらない仕事と思う仕事については、
誰がやってもやはりつまらない仕事である確率のが高いのでは?
と私は確信しています。

しかし会社というのはこの辺を断固として認めず、
多くの人がつまらないと考える仕事に配属された人に対して、
説教じみたことを言ってきます。

例えば、

・若い内は何でも経験!仕事の選り好みをするべきではない。
・本来希望していない仕事も自分に向いている可能性はある。
 オレなんかもそうだった!

みたいなことです。

ミスマッチは構造的問題


私が最初の会社に入ったとき、
私も最初は花形部署を希望していました。

その時の説明では、

「君みたいに花形部署を希望する人ばかりではない。
 営業や管理を希望する人も多いので、
 配属は希望がかなう確率はかなり高い。」

みたいな話でしたが、まるっきりウソでしたね。

花形部署への配属をちらつかせながら採用するものの、
最初からそのような部署に配属させる気はない...
こういった採用がまかり通っていたと思います。

まあ、誰もがやりたい仕事というのは、
椅子の数が限られていますので、
その椅子に座れないくらいなら、
FIREで独身生活を謳歌した方が全然良い!
ということに私ならなります。

誰もがやりたい仕事をできるのは理想ですが、
社会がそういう構造にはなっていないと思いますね。

4 件のコメント:

  1. 海外の働き方セミナーでは日本ほどやりがいというのは重視されていない気がします。日本で「やりがいが大事」という話をする場合、必ずと言っていいほど「だからやりがい重視で低賃金長時間労働しろ」という要求がついてくるので、個人的にはやりがいを強調する人は一切無視しています。

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    1. 同僚の中で「やりがいがあるから給料上がらないのも致し方ない」みたいなことを言っている人がいてビックリしたことがあります。会社の思う壺とはまさにこういう人だと呆れたのを思い出しました。

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  2. 医療職界隈でいうところのやりがい認識造成には、学びと成長、自己効力感と自己肯定の部分が外せませんでした。対象が「人」である以上、respect認識(再教育)のステップだったと思っています。

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    1. 学びと成長があればやりがい認識を持つ可能性は高そうですが、40~50代でそういう職場がどこまであるのか?は疑問に思っています。

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