支出の最適化とDIE WITH ZERO
究極的な意味で支出の最適化が実現しているのであれば、
これ以上お金を使うこと自体が無意味であるので、
DIE WITH ZEROという概念は無意味になるのではないかと思います。
と言いますのも、「ゼロで死ぬ」というのは、
お金を使ってやりたい事が多数あるけど、
将来の為に使わずとっておこう!と思いつつ、
そのお金を使わないで死ぬというのを避けようということかと思います。
支出の最適化が究極的に実現している方であれば、
別にお金を使ってこれ以上やりたいことがあるわけではないので、
お金がいくら余ろうが関係ないということになるかと思います。
「支出の最適化」の実現によって、
ある意味、DIE WITH ZEROは解決したとも言えそうです。
過剰資産に意味はないか?
それでは支出の最適化に必要な資産に比べて、
過剰なまでの資産は全くの無駄かと言えば、
そんなこともないと思います。
一つ目は安心感です。過剰なまでに多くの資産であるならば、
株価暴落・インフレといったものにも打ち勝つでしょうから、
心穏やかにFIRE生活を過ごすことができます。
二つ目は変化への対応が可能ということです。
お金のかかる趣味に目覚めるとか、大病をするとか、
長いFIRE生活で支出行動がずっと一緒というのは逆に考えにくいです。
今後の支出活動の変化により、
過剰な資産が適正資産に変わる可能性はあるかと思います。
まあただ、一般的には資産が過剰であった場合、
もっと早くFIREすれば良かった感じるのが、
ポピュラーな感情かもしれませんが...
Die with Zeroは見習いたい考え方ですが、これを完璧にやれるような人は仕事も資産運用もちゃんと出来ている能力の高い人だと思います。自分みたいに仕事で落ちこぼれて社会からはみ出したような人はこれをやる能力はないです。
返信削除DIE WITH ZEROはそもそも完璧にやれたとしたら、かなり運が良かったということかと思われます。概念的にそれを目指す程度とか参考にするというレベルで良い気が致します。
削除資産の価値というものは、どこで暮らしているかでも全く違ってくるのですよね。FIRE前にも後にも、何を選んで何を選ばないか、暮らしの価値観のようなものをよく見つめながら生活する段階を経験しなければ、なかなか見えて来ないのかなと思います。
返信削除余りに若いうちにこの暮らしの価値観を定めてしまうのは危険とも思いますし。
おっしゃる通り、若いうちに価値観を定めるのはかなりのリスクがあります。特に、若いうちから低予算生活の場合、後に修正したくなっても容易でないという問題が発生する可能性は決して低くはない気がしますね。
削除あまりに過剰な資産は不要ですが、ある程度の資産は死ぬまで維持すべきと思います。ウチは既に両親共に見送りましたが、現実問題として「貯金ゼロでは死ねない」と良く解りました。又中国の孟子が「恒産無き者、恒心無し」と紀元前から唱えている通り、心穏やかな生活の為には財産もしくは安定した収入が必要です。「いくら残して死ぬか」が老後の課題の一つと思いますね。
返信削除私は年金受給後は年金の範囲内で暮らす予定で、その時点で最悪は資産がほぼゼロでも良いと思っていますが、やはりある程度の資産があった方が良いとは思っています。それではそれがいくらか?この辺の答えはまだ出ていません。ご指摘のような「いくら残して死ぬか」はなかなか難しい問題ですね。
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