趣味は暇つぶしにしかならない?
昨日取り上げました下記の記事ですが、
その中で「50代を後悔してる理由ベスト10」というのがあり、
個人的にFIRE生活を考える上で重要と思うものがありました。
それが、
”地域デビュー、妻と旅行等、趣味は暇つぶしにしかならなかった”
というものです。
本日はこのことについて私見を述べてみたいと思います。
FIRE否定の論拠にもなりうるが...
「趣味が暇つぶしにしかならない!」のであれば、
やはり充実した生活を過ごす為には、
仕事に熱中するしかない!
というのが、FIRE否定論者の思考回路ではないかと思います。
ただ、私なんかからしてみますと、
仕事は苦痛でしかなかったわけですから、
趣味が暇つぶしになったのであれば、
残りの人生は趣味に生きた方がマシということになりますね。
趣味は暇つぶしではない!
しかしながら、今の私の生活において、
趣味は暇つぶしかと言われればそれはちょっと違います。
私はその日にやりたいと思った事をやるという生活をしており、
その結果、日中の時間帯は読書に充てることが多く、
夕食以降はスポーツ中継・動画を見ることが多いという感じです。
この辺りは広い意味で趣味という範疇に入れて良いと思いますが、
これが「暇つぶし」と言われると何が違うかと言いますと、
やりたい事が複数ある中で、実際にやることをチョイスしている点ですね。
特にやりたい事はないんだけど、
しいて言えば読書かな?という感じではなく、
より積極的に対象に向き合っている部分はあります。
ライフワークというほどではない...
ただこれらの趣味が、ライフワークと呼べるほどのめり込んでいるか?
というとそうでもないですね。
私はサラリーマン時代でセミリタイアを目指し始めたころは、
退職後の生活は旅行をライフワークとして取り組もうと思っていました。
世界の独立国すべてに行こうとか、
1年間くらい当てもなく世界をさ迷い歩くとか、
そういうことをしようと思っていたのですが、
セミリタイア生活が現実味を帯び始めてからそういう願望はなくなりました。
特に実際に退職してからというもの、
何かを成し遂げるみたいな事に全く興味がなくなり、
旅行なんかも行きたいときに行きたいところに行けばよいじゃないの?
別に行きたくなければいかなければ良いし...
という感じになってきたわけです。
FIRE生活もかなり自然体となってきた
そんなわけですので、
FIRE生活は暇でやることがないので趣味で時間を潰すでもなく、
ライフワークと呼ぶべき趣味に取り組んでいるわけでもなく、
自然体で趣味に向かい合っているという感じがします。
まあ、この辺の感覚はうまく説明するのが難しいので、
FIRE否定論者の方から見れば、
「お前の生活など暇つぶしの連続にしか見えない!」
と言われそうですが、
そう思うなら勝手に思ってもらって結構!
と言う程度には達観した気持ちにはなっていると思います。

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フルタイムで仕事していた時の一番の悩みは「暇がない」でした。家事など日常生活でやらなきゃいけないことをやる暇がなく大変だったと思い出します。つぶさなきゃいけないと考えるほど暇があるというのは良いことだと思っています。
返信削除全くご指摘の通りかと思います。今のFIRE生活でも家事に取られる時間は結構多いので、サラリーマン時代はどうやって時間のやりくりをしていたのか?不思議に思うことが多々あります。
削除やりがいがないことに対する漠然とした怖れというものを持っていたように思います。実際にそれは間違いだったわけですが、しかし仕事をしてた時は生きていく気力とかを亡くしてしまうのではないか?廃人になるのではないかという怖れを持っていたように思います。
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