FIRE後に自分は「必要とされていない」と感じる?
50代で通勤電車に乗るのが嫌でFIRE!
という、なんとも冴えない理由でFIREする人の記事がありました。
まあ、ツッコミどころは満載の記事なのですが、
一番気になったのは以下のパートです。
"「朝、カレンダーを見ても予定が何もない日が続くと、だんだん“自分は必要とされていない”気がしてきて…」” (引用元) 「朝の通勤がないだけで幸せだと…」資産7,000万円で退職を決めた54歳男性、半年で“職場に戻った”納得の理由
FIRE後に「自分が必要とされていない」と感じるのが嫌で仕事復帰!
というのは良く聞く話で、この方もそのようなルートを歩んでいます。
ただ、この流れは私には2つの点で違和感があります。
予定が何もない!サイコー!
まず第一に、カレンダーに予定が何もない日が続くのを見てどう思うか?
FIRE後の私のカレンダーの予定など、
見たいスポーツ中継くらいしか書いていないですが、それを見て、
「自分が必要とされていない」
なんて思ってみたことはありません。
むしろ、予定が何もないなんてサイコーじゃないの?
くらいにしか思いません。
サラリーマン時代は予定はあるが...
一方、サラリーマン時代の私はどうだったか?
予定は確かにそれなりに詰まっていたので、
「会社に必要とされている!」
と自分で勝手に思うことは可能です。
しかしながら、
私のサラリーマン時代の晩年は閑職に追いやられており、
仕事の多くは単純作業的な内容でした。
なのでそもそも、
会社に必要とされていればこのような部署に回されることもなく、
もっと第一線で活躍するチャンスを与えられたはずです。
やりたくもない仕事をやらされた上に低評価、
でも仕事はそれなりに回ってくると言う状態で、
「自分は必要とされているんだ!」
みたいに思いますかね?
本当に会社に必要とされていると思えば...
仮に私が、自分が活躍したいフィールドで高評価を得て、
それなりのポジションで働いていたならば、
「会社に必要とされているんだな!」
みたいな感じになって、
FIREを目指すなんてことはしなかった可能性は高いです。
なので、この方の感じ方は私とは全く逆じゃないかな?
と思いましたね。

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