「無敵の老後 勢古 浩爾」の感想
定年バカ (SB新書) 、続 定年バカ (SB新書) に続いての、
勢古浩爾氏の著作である無敵の老後を読みました。
前作同様、「人生楽しまなければ損!」みたいな風潮を、
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前作同様、「人生楽しまなければ損!」みたいな風潮を、
余計なお世話だ!と斬って捨てる痛快な論調は健在という感じです。
本書のキーワードとも言えるのが、「楽しさ」と「愉しさ」の違いです。
「楽しさ」より「愉しさ」
本書のキーワードとも言えるのが、「楽しさ」と「愉しさ」の違いです。
”世の中の楽しさには、ディズニーランド的な「楽しさ」と、読書のような「愉しさ」とがある、とわたしは考える。前者は動的で集団的で一時的、いわばバーベキュー的な楽しさである。あるいは、見出し的にいえば、強烈なドーパミン的、エンドルフィン的楽しさだといっていい。みんなでわいわいがやがや、イエーイとかいって。後者は静的で単独的で永続的、いわば読書的な愉しさである(読書のほかに考えつかなかったのか)。こちらは穏やかなセロトニン的、オキシトシン的愉しさである。映画を見る、音楽を聴く、絵を見る、昆虫採集をす、など。じわりと愉しい。(中略)もうこの歳になると、わたしはいまでは圧倒的に「愉しさ」を求める。実際にもそうだ。もちろん「楽しさ」も好きである。が、あんまり「楽しい」とか「楽しむ」とかはいいたくない。「人生を楽しみたい」などとは口が裂けてもいいたくない。”(無敵の老後 p68~p69)
私のセミリタイア生活の2枚看板として、
旅行と読書を掲げていますが、
前者が楽しさ、後者が愉しさを追求していると言えそうです。
私もサラリーマン時代、セミリタイア初期には、
私もサラリーマン時代、セミリタイア初期には、
圧倒的に前者の「楽しさ」に重きを置いていましたが、
コロナ禍の引きこもりや単純に年をとってきたこと等により、
後者の「愉しさ」に力点が移ってきた感じですね。
日々、「楽しさ」とかを追求していくというのは実は疲れますし、
働かないセミリタイア生活が当たり前になってきますと、
いかに穏やかに日々愉しく過ごすかが重要だというのは実感できます。
セミリタイアとかFIREとかに対する批判として、
セミリタイア批判もこの文脈で説明可能
セミリタイアとかFIREとかに対する批判として、
退職後にやりたいことを明確にしておかないと失敗する!
みたいなのがあります。
この批判なんかも、「楽しさ」という側面を追求しすぎている、
というところから来ている気がしますね。
本書が主張するように、”生きているだけで、いい”と言う風に、
割り切ることができるのか?
この辺りが満足いくセミリタイア生活を過ごせるかのカギになるのでは?
そもそもいくら頑張ったところで、
「毎日が楽しくてしょうがない!」
なんてことには簡単にならないと思いますよ...
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結構受動的なんだな。ブログとかYoutube発信とかはどちらのたのしさなんだろうか?承認を求めるという意味では楽しさの方か?
返信削除ブログとかYouTubeについては、趣味レベルだと愉しさかな?と思います。ただ、たのしさというより、仕事のレベルになっている人が結構多い気がします。
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