心に響かないFIRE批判
FIREを批判する記事で「なるほど!」と思う記事は少ないですが、
ここまで共感しなかった記事も珍しいな~というのが下記の記事です。
"さらに、FIREを追い求めるなかで「労働=苦役」という誤った前提が強化されているようにも感じます。将来の自由のために今を我慢する――確かに一見、努力の美徳のようにも見えますが、その実、今この瞬間の意味や価値を否定してしまっている側面があります。しかし労働とは本来、「他者の課題を発見し、それを解決する」という意義ある営みです。すべての仕事が楽しいとは限りません、むしろ辛い事の方が多いでしょう。しかしそうであっても「誰かの役に立っている」という実感こそが働く喜びそのものであり、精神的な自立の源でもあるのです。このような「今ここにある価値」を無視した生き方は、どれだけ資産を築いても、心の豊かさにはつながりません。” (引用元) お金があれば「FIRE後は自由」になれる…はもはや幻想?自由も幸せもすり抜けていく〈早期リタイア〉の落とし穴
”「労働=苦役」という誤った前提”と言われてもね~...
という感じですね。
「労働=苦役」なのでFIREを目指す
私はサラリーマン時代に「労働=苦役」だったのでFIREを目指し、
時間はかかりましたが何とかFIREを達成して、
今は平穏な日々を過ごすことができています。
なので、私がサラリーマン時代に感じていた、
「労働=苦役」という概念が間違いだったんですよ!
と言われても、
「いったいこの人はなにを言っているのだ?」
としか思えませんし、
これを聞いて辛かった労働が楽しくなったなんてこともないでしょう。
同じような主張をされる方も結構いましたしね...
「労働の本質」はこうだ!と言われても...
この方は労働の本質についても色々と言われており、
”労働は「他者の課題を発見し、それを解決する」という意義ある営みです。”
などとも言っておられます。
ご自身のお仕事はそのようなものであると認識されており、
それが心の豊かさにつながっておられるのであれば、
私がそれを否定する立場にはありません。
しかしながら、仮に私のやっていた仕事が社会的に意義のあるものであったとて、
その過程で罵詈雑言が飛んできたり、深夜や土日まで働かされたり、
それが自分の評価や給料に反映されないものであれば、
心の豊かさだなんだというところへは全く繋がっていきません。
概念論ではシアワセになれない!
私自身の結論と致しましては、
労働についてどんなに立派な概念を述べられたところで、
嫌な仕事が楽しくなるなんてことはない!
と言うことです。
また一方、FIREではシアワセになれないと言われましても、
サラリーマン時代の1億倍くらいシアワセな今の生活が、
「そうか!今の生活では心が豊かになれないのか!」
などと思うこともありません。
まあ、この方の文章はちょいと難解なので、
私が理解できていない部分も多いのかもしれませんが、
概念論ではシアワセになることはできないような気は致しますね。
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同感です。
返信削除中には、報酬がなくても働くんじゃ?と見える人もいますが自分には無理です。
人間関係や生きがいを仕事に依存する人たちは、仕事こそが至高の価値だとでも思わないとやってられないのかなと邪推したりして。
私の周囲にも報酬がなくても働くのではないかと思う人は結構多かったです。仕事以外では自分のアイデンティティが保てないないんだろうな~という感じで私は見ていましたが...
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