2025年11月8日土曜日

「労働で誰かの役に立ちたい」に素直に共感できずにFIREを目指す...

労働を通じて誰かの役に立ちたい!は自然だが...


昨日取り上げた記事にあるような、
「労働を通じて誰かの役に立ちたい!」と言うのは、
ある意味、自然な考えだとは思います。

しかしながら、
現代サラリーマンがそのようなことを考えながら仕事をする余裕があるか?
と言われれば、忙しすぎてそんなことを考える余裕がない人が大半かと思います。

ただそれ以上にやっかいだと個人的に思うのが、
自分が一所懸命働くことによって、
自分の嫌いな「誰か」の役に立つのが嫌だ!
という感情が芽生えて、
それがFIREを目指す一つの要因になることもありうることです。

一所懸命働いても上司の為にしかならない...


これはサラリーマンの評価システムの構造上、
結構起こりうることではないかと思います。
非常に簡潔にまとめるとこんな感じです。

・営業担当A氏が頑張って売上倍増、課のノルマ達成に大貢献
・しかし課長B氏は「たまたま市況が良かっただけ」とA氏を評価せず
・一方、課長B氏は課のノルマ達成で高評価を受ける

こういう、頑張っても自分は評価されないけれど、
上司は評価されてしまうという状況下で、
仕事をするのがバカらしいという話は、
サラリーマン時代に時々耳にした話であります。

まあこういった評価の構造とかの話ではなく、
単純に手柄を横取りされるみたいなものも多々ありますが...

仕事が誰の為になっているがわかりにくいが...


実際問題として考えますと、
自分の仕事は誰かの役には立っているのでしょうが、
一部の仕事を除けば、日頃それを実感するのは難しいかと思います。

一方、社内での評価は出世・給与などに反映し、
自分は全然評価されていないのに、
何故か上司の評価だけは異様に高い...
みたいな事象はダイレクトに実感します。

私なんかはこういった状況に何度か遭遇、
「あっ、こりゃこのまま働いていてもダメだな...」
と思ったのも、
最終的にFIREを目指す要因になっています。

なので、「仕事で誰かの役に立つのが嬉しい」みたいな話を聞くと、
そりゃそうだけど、そんな単純な話ではないのでは?
みたいにどうしても思ってしまいますね。

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