労働を通じて誰かの役に立ちたい!は自然だが...
昨日取り上げた記事にあるような、
「労働を通じて誰かの役に立ちたい!」と言うのは、
ある意味、自然な考えだとは思います。
しかしながら、
現代サラリーマンがそのようなことを考えながら仕事をする余裕があるか?
と言われれば、忙しすぎてそんなことを考える余裕がない人が大半かと思います。
ただそれ以上にやっかいだと個人的に思うのが、
自分が一所懸命働くことによって、
自分の嫌いな「誰か」の役に立つのが嫌だ!
という感情が芽生えて、
それがFIREを目指す一つの要因になることもありうることです。
一所懸命働いても上司の為にしかならない...
これはサラリーマンの評価システムの構造上、
結構起こりうることではないかと思います。
非常に簡潔にまとめるとこんな感じです。
・営業担当A氏が頑張って売上倍増、課のノルマ達成に大貢献
・しかし課長B氏は「たまたま市況が良かっただけ」とA氏を評価せず
・一方、課長B氏は課のノルマ達成で高評価を受ける
こういう、頑張っても自分は評価されないけれど、
上司は評価されてしまうという状況下で、
仕事をするのがバカらしいという話は、
サラリーマン時代に時々耳にした話であります。
まあこういった評価の構造とかの話ではなく、
単純に手柄を横取りされるみたいなものも多々ありますが...
仕事が誰の為になっているがわかりにくいが...
実際問題として考えますと、
自分の仕事は誰かの役には立っているのでしょうが、
一部の仕事を除けば、日頃それを実感するのは難しいかと思います。
一方、社内での評価は出世・給与などに反映し、
自分は全然評価されていないのに、
何故か上司の評価だけは異様に高い...
みたいな事象はダイレクトに実感します。
私なんかはこういった状況に何度か遭遇、
「あっ、こりゃこのまま働いていてもダメだな...」
と思ったのも、
最終的にFIREを目指す要因になっています。
なので、「仕事で誰かの役に立つのが嬉しい」みたいな話を聞くと、
そりゃそうだけど、そんな単純な話ではないのでは?
みたいにどうしても思ってしまいますね。
にほんブログ村
0 件のコメント:
コメントを投稿