2024年11月2日土曜日

FIREすると「誰からも必要とされず、誰からも愛されない」のか?

久しぶりに凄いFIRE批判を見た!


FIREを批判する文章は定期的に出現しますが、
ある程度想定の範囲内の論理展開に納まることが多いです。

想定の範囲を越えてなかなかパンチが効いており、
私個人とは100%考えが違うな~と思いました。

この記事の結論部分に筆者の考えが凝縮されているようで、
この文章について、私の感想を述べてみたいと思います。

"労働しない人生は確かに楽だろう。だが「楽=楽しい」ではない。体が楽なだけで、何の達成感もなく、何もやりたいことや欲しいものがなく、誰からも必要とされず、誰からも愛されない。たった一度きりの人生をそのように使ってしまって後悔しない人は少ないだろう。後悔しない人がいるとすれば、無人島で一生一人暮らしでも楽しく生きられる特殊能力の持ち主だけだろう。

「楽 = 楽しい」です!


まず最初に申し上げたいのは、「楽 = 楽しい」ということです。

FIREしても、やりたい事が明確でないと失敗する!
というのは多くの人が唱えている説ですが、
最近の私の考えでは、ちょっと違うんじゃないかな?と思っています。

というのも、基本的にFIRE生活というのは、
何もせずまったりするのが一番楽しいのでは?
と思うようになったからです。

何もしないといっても、実際は何かしらはやっています。
ゲームでも動画でも、楽しいコンテンツが溢れているのが今の世の中なので、
基本的に嫌な事をする義務さえなければ、
それなりに楽しい事はいくらでもあります。

やりたいことがあるからFIREした!


また、「何の達成感もなく、何もやりたいことや欲しいものがなく」とありますが、
これも全く逆の発想かと思います。

そもそも、やりたいことがあるからFIREしたという部分があります。
私の場合は、「旅行と読書」です。

そして、それをする為に最も欲しいものが「自由時間」ということであり、
私なんかはそれを得ただけで達成感がバリバリにありますけどね~。

駒として必要とされて嬉しいですか?


そしてある意味一番すごい発言と思ったのが
「誰からも必要とされず、誰からも愛されない」
という文言ですかね?

FIREすると誰からも必要とされず、誰からも愛されないのでしょうか?

まあ、仕事をしていれば会社からそれなりに「必要」とはされるでしょうが、
それはあくまで一つの駒として必要なレベルでしょう。

会社の「駒」「歯車」「奴隷」として君が必要だ!と言われて、
それで嬉しいかと言われれば、むしろやめてくれ!というレベルでしょう。

誰からも愛されないと言う点については、
仕事すると誰かから愛されるのかな?
ちょっと私にはご趣旨がよくわかりませんでした...